小野リサおすすめボサノヴァ名曲集 ブラジリアン・ミュージック・シーンを牽引する小野リサセレクト
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ボサノヴァのヒット曲 ボサノヴァ心地よさ抜群の名曲をコンプリート
Available to purchase from our US store.ボサノヴァは1958年にブラジルのリオ・デ・ジャネイロで生まれました。ブラジルの音楽と言えばサンバですよね。サンバはカーニヴァルで踊る音楽でもあるし、ロックっぽいサンバもあるし、ディスコっぽいサンバもある、アメリカのR&Bのような立ち位置のブラジルの国民音楽なんですね。このサンバが1950年代はサンバ・カンサォンというスタイルで大流行しました。サンバ・カンサォンはフランスのシャンソンに似た音楽で、嫉妬や失恋をテーマにした歌詞が多く、ちょっと湿っぽい雰囲気でした。
一方、その時期にリオの富裕層の若者たちが集まって聴いているのはアメリカのジャズでした。彼らはチェット・ベイカーなんかを聴きながら、僕たちブラジルのサンバ・カンサォンも、こんな風にもっとクールになればいいのにな、なんて思っていました。

そこに登場したのがジョアン・ジルベルトです。実はジョアン・ジルベルトも元々サンバ・カンサォンの歌手としてデビューしていたのですが、あまりヒットしなかったんですね。失意のジョアンは地元に戻ってお姉さんの家で何度もギターを弾いて、あのボサノヴァのリズムを生み出しました。ジョアンは、その新しいギターのリズムと、まるで囁くように歌うスタイルを手に、リオの新しい音楽好きの若者たちが集まる前に登場しました。そのジョアンのギターと歌を聴いたホベルト・メネスカルは「これが僕たちの新しい音楽だ!」と感動し、ジョアンをいろんな人たちに紹介して回りました。ボサは「やり方」、ノヴァは「新しい」で、ボサノヴァは新しいやり方という意味です。サンバを新しいやり方で演奏しようという意味で、ボサノヴァはサンバの「ソフィスティケーション革命」だったんです。

さて当時、作曲家のアントニオ・カルロス・ジョビンが、詩人のヴィニシウス・ジ・モライスと『オルフェウ・ダ・コンセイサォン』というミュージカルを作って成功させていました(このミュージカルは後にフランスで『黒いオルフェ』という名前で映画化されます)。そのジョビンがジョアンのギターと聴を聞いて、「これだ!」と確信し、エリゼッチ・カルドーゾという女性歌手のアルバムにジョアンのギターを2曲、採用します。これが1958年のことで、正式にはこの録音が「ボサノヴァ第一号」と言われています。
ジョアンの才能を信じたジョビンは、ジョアンのソロ録音を企画して、45回転のシングル『シェガ・ジ・サウダージ(想いあふれて)』が発表されます。このシングルは大評判になり大ヒットしました。翌年1959年ジョビンのピアノとアレンジでジョアンのファースト・アルバムが発表され、ブラジル中にボサノヴァ・ブームが来ました。
1960年、たくさんのアメリカのジャズ・ミュージシャンが、演奏旅行でブラジルを訪れていました。そのとき彼らはこのブラジルで流行しているボサノヴァを聴いて、「これだ!」と確信しました。その中のギタリストのチャーリー・バードはアメリカに戻って、友人のサックス奏者のスタン・ゲッツにジョアン・ジルベルトのアルバムを聴かせます。気に入ったゲッツはチャーリー・バードと二人で『ジャズ・サンバ』というアルバムを録音して発表します。このアルバムは大ヒットし、グラミー賞を獲得し、アメリカにもボサノヴァの波がやってきます。

1962年に、NYのカーネギー・ホールで、ボサノヴァのコンサートが開催されました。ジョビンとジョアンはもちろん、メネスカルやセルジオ・メンデスも参加しています。このコンサートは大成功し、多くのボサノヴァ・ミュージシャンたちがアメリカに残り、ボサノヴァのアルバムを録音、発表することになります。
1963年、ゲッツとジョアンとジョビンが集まってアルバムを録音することになりました。その時、ジョアンの当時の妻だったアストラッド・ジルベルトが「イパネマの娘」を英語で歌わせてと提案します。プロデューサーのクリード・テイラーが快諾し、アストラッド・ジルベルトは「イパネマの娘」と「コルコヴァード」で歌手として参加します。
その後、1964年にこのアルバムは『ゲッツ/ジルベルト』として発表され、大ヒットしました。現代でも永遠の名盤として聴き続けられています。

そしてアストラッドはヴォーカリストとしてソロ・デビューしてボサノヴァの女王と呼ばれるようになり、前述のセルジオ・メンデスも「マシュ・ケ・ナダ」が大ヒットし、世界中にボサノヴァ・ブームが広がっていきました。
●ボサノヴァと言えば、この5曲
Chega de Saudade / 想いあふれて
ボサノヴァ第1号の記念碑的な曲です。「サウダージ」というポルトガル語特有の言葉「あなたが今ここにいなくて寂しい」という気持ちが「シェガ」、「もうあふれてしまいそうだよ」という恋心を歌った曲です。
The Girl from Ipanema / イパネマの娘
リオにイパネマという美しい海岸があります。その海岸へと向かう道を、いつもある美しい女性が過ぎ去っていくのを、「僕」がひとりで見つめています。僕はその彼女の美しさに心を震わせるのですが、という片思いの曲です。
Wave / 波
ジョビン作曲でインストゥルメンタルで最初は発表されましたが、ジョビン本人が書いた歌詞もありフランク・シナトラをはじめ、たくさんの歌手がカヴァーしています。この曲が収録された『WAVE(波)』というアルバムが、ボサノヴァはリゾートで聴くゆったりとした音楽というイメージを決定づけました。
Agua de Beber / おいしい水
アストラッドの「ディバディバ」というスキャットで始まる録音が大ヒットし、「スキャットとボサノヴァ」というイメージを決定づける曲です。邦題は「おいしい水」ですが、歌詞は「水を飲むように(自然に)、私の心の扉も開いていたい」という意味です。
Mas Que Nada / マシュ・ケ・ナダ
オリジナルはジョルジ・ベン作ですが、セルジオ・メンデス&ブラジル’66で大ヒットしました。それまではアメリカではボサノヴァはジャズ・ミュージシャンが演奏するのが主流でしたが、この曲以降、ロック・ミュージシャンも多く取り上げるようになりボサノヴァが全世界へと広がるきっかけとなりました。
●ボサノヴァと言えばこの5人

アントニオ・カルロス・ジョビン
ボサノヴァの多くの名曲の作曲家。ラヴェルやショパンのようなクラシックや、ブラジルの伝統的な古いサンバの音楽も愛しました。生前、『イパネマの娘』がザ・ビートルズの『イエスタデイ』に次ぐヒット記録を達成したと聞かされて、「ビートルズは4人だけど、僕はひとりだから」と答えたそうです。

アストラッド・ジルベルト
ボサノヴァの女王と称されました。現代の世界中のいわゆるボサノヴァ的な歌い方は、彼女からの影響を受けているといってもいいと思います。極度のあがり症で、プロ・デビューした後に、それを克服するためにステラ・アドラー・アカデミーという演技学校に通ったそうです。

ジョアン・ジルベルト
ボサノヴァのあのギターのリズムとあの囁くような歌い方を発明した人です。パーティー嫌いとして有名で、パーティーに誘われたときは、「そのパーティーに僕が知らない人がいるかどうか。いたら行きたくない」と断っていたそうです。

スタン・ゲッツ
アメリカのサックス奏者。ジャズ演奏家ですが、1960年代にボサノヴァと出会い、多くのボサノヴァの名盤を録音、発表しました。彼はジャズの名盤もたくさん残していますが、「私が死んだときにはイパネマの娘のサックス奏者として書かれるだろう」と自嘲気味な言葉を言っていたそうです。

エリス・レジーナ
ブラジルの国民的歌手です。パワフルな歌い方で、ヨーロッパやアメリカでも大活躍しました。思い立ったらすぐに行動する人で、ヒタリーという女性アーティストが妊娠中に刑務所に入れられたのを知り、エリスが刑務所に現れ、「妊婦をこんな場所に閉じ込めるなんて」と看守を怒鳴りつけたそうです。
林 伸次(BAR BOSSA)
1969年徳島県生まれ。レコード屋、ブラジル料理屋、バー勤務を経て、1997年にbar bossaをオープンする。2001年、ネット上でBOSSA RECORDをオープン。選曲CD、CDライナー執筆多数。著書に『バーのマスターはなぜネクタイをしているのか』『バーのマスターは、「おかわり」をすすめない』(ともにDU BOOKS)、『ワイングラスの向こう側』(KADOKAWA)、『大人の条件』『結局、人の悩みは人間関係』(ともに産業編集センター)、『恋はいつもなにげなく始まってなにげなく終わる。』『世界はひとりの、一度きりの人生の集まりにすぎない。』(幻冬舎)などがある。
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