喉の手術による激しい痛みに耐え、あの有名なハスキーボイスが残る状態からようやく回復したばかりではあったが、1957年の秋、マイルスは音楽的にも身体的にも絶好調だった。彼はまもなく2番目の妻となるフランシス・テイラーと出会い、コロンビアと契約を結び、画期的なアルバム『マイルス・アヘッド』をレコーディングし、プレスティッジ・レーベルからの最後の作品となる『クッキン』をリリースして、絶賛を浴びていた。

マイルスはキャノンボール・アダレイ、トミー・フラナガン、ポール・チェンバース、フィリー・ジョー・ジョーンズを擁する自身のクインテットを率い、ジョージ・シアリング、ジェリー・マリガン、チコ・ハミルトン、ヘレン・メリルらと共に、大成功を収めた全米ツアー「ジャズ・フォー・モダンズ」に参加した。その後、彼はパリへ飛び、11月30日にオリンピア劇場でコンサートを行い、続いてクラブ・サン・ジェルマンで3週間に渡るレジデンシー公演を行った。

空港では、かつての恋人である女優兼歌手のジュリエット・グレコと、当時24歳だった映画監督ルイ・マルが彼を出迎えた。マルは、台頭しつつあったヌーヴェルヴァーグ運動において極めて重要な人物であった。マルはマイルスに、興味深い提案を持ちかけた。自身の初監督作品『死刑台のエレベーター』のサウンドトラックの依頼である。ジャンヌ・モローとモーリス・ロネが不倫と殺人に手を染めるカップルを演じるこの作品にマイルスは、ラフカットを視聴することを条件にこの仕事を引き受けた。

オランピア劇場での公演では、マイルスがバルネ・ウィラン・カルテットにゲストとして参加した。メンバーは、テナー・サックスのウィラン、ピアノのルネ・ユルトルジェ、ベースのピエール・ミシュロ、そしてパリ在住のアメリカ人ドラマーでありビバップの先駆者であるケニー・クラークだった。クラークは1956年9月からパリを拠点としており、もちろん1952年から1954年にかけて、プレスティッジやブルーノートからリリースされた数々の名盤でマイルスと共演していた。12月2日、マイルスは映画『死刑台のエレベーター』の上映会に出席し、いくつかのメモを取り、マルから翻訳による説明を受けたと伝えられている。その2日後、彼はウィラン、ユルトルジェ、ミシュロ、クラークを集め、ル・ポスト・パリジャンでサウンドトラックの録音を行った。(自伝の中で、マイルスはそのスタジオを「陰鬱で暗い」雰囲気ゆえに選んだと述べている)

マイルス・デイヴィス 死刑台のエレベーター

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クラークによれば、実際のレコーディング・セッションは12月5日の未明に始まり、わずか3時間余りにすぎなかったと言う。その間、モローは即席のバーから飲み物を振る舞っていたと伝えられている。マイルスは時折、ユルトルジェとミシュロのためにいくつかのコードを書き留めたが、アレンジは概してその場の思いつきで提案され、バンド全体がスタジオの大きなスクリーンに映し出される場面に反応し、即興で進んで行った。

そこから生まれたのは、雰囲気に満ちた鮮烈なモードとスケールの探求であった。この探求は、1年余り後に録音された記念碑的な『カインド・オブ・ブルー』においてさらに深められたことはあまりにも有名だ。マイルスの演奏はハーマン・ミュートの使いこなしにおける卓越した技量を示すと同時に、レコードに残された彼の演奏の中でも最も速く、最も敏捷なプレイのひとつを披露している。それをクラークの非凡なブラシワークが支えている。マイルスのトランペットはスタジオのエコー・チェンバーを通して録音されることも多く、アルバム全体に魅惑的で幽玄な雰囲気をもたらしている。

左からマイルス・デイヴィス、ルネ・ユルトルジェ(ピアノ)、バルネ・ウィラン(サックス)1957年12月4日、パリにて『死刑台のエレベーター』レコーディング風景 写真。写真:ジャン=ピエール・ルロワール。

サウンドトラックを完成させたマイルスは、クラブ・サン・ジェルマンでのレジデンシーを終え、1957年12月20日金曜日にニューヨークへ戻った。そして直ちに、テナーサックスのジョン・コルトレーンとピアノのレッド・ガーランドを呼び戻し、2か月後に伝説的なアルバム『マイルストーンズ』を録音したあの名高いセクステットを結成した。

『死刑台のエレベーター』は、マイルスの黄金期の一つを導いたきっかけとなったことは明らかだ。この素晴らしいアルバムは、当初ヨーロッパでは10インチ盤で、アメリカでは1958年6月にフランスのピアニスト兼作曲家ミシェル・ルグランと共に行われたセッション音源と共にグラミー賞にノミネートされた『ジャズ・トラック』としてリリースされ、雑誌『ダウンビート』のラルフ・J・グリーソンから5つ星の評価を獲得した。そして、年月が経つにつれて批評家からの称賛はますます高まっているように思われ、最近の主要なマイルス・ドキュメンタリーであるマイク・ディブの『ザ・マイルス・デイヴィス・ストーリー』とスタンリー・ネルソンの『バース・オブ・ザ・クール』の両作品が、このサウンドトラックをかなり詳しく取り上げている事実が、そのことを裏付けている。


マット・フィリップスはロンドンを拠点とするライター兼ミュージシャン。Jazzwise、Classic Pop、Record Collector、The Oldieなどに寄稿。著書に『John McLaughlin: From Miles & Mahavishnu to the 4th Dimension』、『Level 42: Every Album, Every Song』がある。


ヘッダー画像:1957年12月5日。フランスの女優ジャンヌ・モローが、ルイ・マル監督の映画『死刑台のエレベーター』のために、マイルス・デイヴィスによるトランペットの即興演奏を聴いている。写真:キーストーン/ゲッティイメージズ。