前作『uNomkhubulwane』ではズールーの神話における自然、光、豊穣を司る雨の女神をタイトルに冠し、自分たちの世界の見方を提示し、新作の『The Myth We Choose』では、未来にどんな「神話」を残せるかの彼なりの提案を音楽にした。彼の音楽に含まれているのはメッセージ性や告発ではない。現在も植民地主義に翻弄されている南アフリカという国に生まれたもの立場からの様々な提言だ。歴史を見つめること、そして、自分自身のコミュニティに根付く文化、宗教、哲学を尊重し、次の世代に受け渡していくこと。彼の音楽にはそんな地に足の着いた思想が音楽という形で表現されている。
ンドゥドゥゾ・マカティーニ The Myth We Choose
Available to purchase from our US store.では、『The Myth We Choose』で彼はどんなことを伝えたかったのか。じっくりと話を聞いた。
(取材通訳:丸山京子)
――まず『The Myth We Choose』のコンセプトを聞かせてください。
コンセプトは、「Time」 ということについて考えていた時に浮かんだ、ある一つの疑問から生まれたんだ。それは、時代は私たちの知識や「知る」というあり方にどんな影響を与えているのだろう、ということだ。この世界で起こる出来事や事象と、その時代との間には関係があるわけで。そのことが、私たちが意識しているかどうかに関わらず、この世界での私たちのあり方を形作っている。
ではなぜ「Myth(神話)」なのか…。私は子供の頃、祖父母からたくさんの神話や物語を聞かされ、育った。村での暮らしを通じて多くのことを学んだ。それが可能だったのは、近代から少し距離を置いた場所で暮らしていたからだ。「近代」は、多くの場合、西洋、すなわちヨーロッパ/アメリカ中心の生き方や価値観を意味する。南アフリカは他のアフリカ諸国や、アジア、南米同様、近代的ではなく、先住の文化が残る場所として見なされていた。それはそれで良かったと思う。実際、西洋とは違う人の在り方がそこにはあったのだから…。
ところが近代化の波が押し寄せるにつれ、そうした物語が少しずつ失われていった。私が祖父母から聞かされてきた物語は、もはや日常の言語の一部ではなくなってしまった。私の孫たちは、私が感じてきたようなルーツと繋がれなくなるかもしれない危機にさらされているんだ。学校教育も救ってはくれない。学校ではそういうことは教えられることはないからだ。

そこで私は考えるようになった。このとても難しい状況に対して、どんな些細なことでもいい、音楽によって何か私にできることはないか。だからこのアルバムでは「神話」に焦点を合わせることにした。神話は「語り」の一つだ。マントラのように何度も語り継がれるうちに、人々の知となり、世界を理解する拠り所になっていく。だから、アルバムのそれぞれの曲のなかに、私はちょっとした逸話や歴史の記憶を思い起こさせるような断片を散りばめた。同時に、今の時代のテーマや現状を、未来を映し出す手がかりとして織り込んだ。
これは私が「社会の通貨」と呼ぶものを介して、社会とともに未来を形作る試みの一つだ。社会が歌を持つことで、その社会には物語が生まれる。でも今、皆が一緒に歌い、知恵を受け継いでいく歌を社会は持っていない。一言で言えば、それがこのアルバムのコンセプトだ。
――そのように「自分たちの神話」をコンセプトにしたアルバムで、あなたたちの言葉であるズールー語だけでなく、英語の歌詞を採用している曲が3曲もあったのが興味深かったです。そこにはどんな意図があったのでしょうか?
すべてに意図はあるよ。「関係性のフォロプラクシス」(philopraxis、愛を実践すること)という考えがあるが、それは互いが招待状を開くことを意味する。「私の家へようこそ」と言って相手を招き入れると同時に、「私の中にあなたの一部を見ることができる」と言うことだ。
だから、英語曲の歌詞は、意図してとても明確な言葉を用いた。たとえば〈What People Say〉では、人が歴史のある瞬間を繰り返し語ることで、それがやがて神話になっていくことを、とても明確な言葉で歌っている。
もう一つの曲〈Tethered〉は愛についての歌だ。愛は人と人との関係で生まれる物語だ。戦争の中でも、人は誰かを愛し、家族を築き、愛の物語を紡ぐ。そうした歌であるがゆえ、より広い理解の中に置きたかった。つまり、世界で広く話されている言葉の中に置くということだ。それが植民地主義の産物だとしても、ね。現実に、ズールー語を話す人より、英語を話す人の方が多いわけで、「招待状を開く」という意味では、そのことを考慮に入れなければならなかった。すべてには意図がある。すべてはこの世界で生きていることの結果なんだ。
――自分たちのコミュニティの神話を書こうとしつつも、同時に世界で通じる普遍性のようなものも入れようとしている、ということですかね。
その通り。大切なのは、人は特定のコミュニティに生まれるが、現実にはもっと広い世界に生きているということ。だから自分の村の知を守らなければならない一方で、その村で人がどう生きているのかを知ってもらうための「招待状を開く」必要がある。つまり、自分たちはここに存在するが、同時に別の場所でも自分たちの声を届くようにするということ。ところが、これまでアフリカの物語ではそれがなされてなかった。アフリカの物語は「アフリカのもの」にとどまり、普遍的な物語になることはなかった。そのことを緊急に考えなければならない、と言っているんだ。
ギリシャ神話を例にとろう。世界のどこにいても、誰もがギリシャ神話を知っている。ギリシャ神話は、人が神話を知る方法の中心に置かれるようになった。ではなぜ、Nguni(アフリカ南部のバントゥー系の人たち)の神話は普遍的なものにならないのか?問題はそこなんだ。神話が広がる上で重要なのは言語だ。だから、私たちはいかに神話に旅をさせるかを考えなければならない。
前作で私は、(Nguniの創世神話に登場する豊穣や雨、自然、死と誕生を司る女神)uNomkhubulwaneのことを歌った。興味深かったのは、異なる文化圏がそれぞれの「雨の女神」を持っていたことだ。ただ、人はズールーやNguniの人々の中にもそれが存在することを知らなかった。でも私がメッセージを翻訳をしたことで、今ではどこに行っても「私たちの文化にも似たような神がいます」「女性のエネルギーと結びついた雨の神がいます」と言われた。突然、世界中の人々がuNomkhubulwaneを知り、考えるようになった。つまり、たった1枚のアルバムが、私たちの知の体系の一端を見せるきっかけになったんだ。
私がアルバムを作ることを、一種のメディスンマン(ネイティブアメリカンの呪術医、霊的指導者)と捉える理由はそこだ。メディスンマンは特定の薬草を調合して薬を作る。その効能を知った者は、その薬草がどの木に生えるのかを知りたいと思う。その木に囲まれたコミュニティとはどんなところだったのか?薬や薬草、ヒーリングを通じてたどり着くように、私たちは音楽を通して、人が歴史を追いかけるための道を示しているんだ。
――後半、あなたがキーボードとプログラムをしている曲があります。ここでそういったサウンドが必要だった理由を聞かせて下さい。
うん、これもまた先ほどの「招待状を開く」ことに通じるんだ。私は若者たちと繋がる手段としてテクノロジーを使っている。教えたことは子どもたちに伝わり、残っていかなければならない。今の時代の音楽には、シンセサイザーやキーボードプログラムを使った電子サウンドが、日常的に使われている。だから、彼らにとって親しみのあるものを使って、彼らが知らないものを紹介するんだ。招き入れる時は、知っているところから知らないところへ、が基本だからね。
シンセを使ったのは、今、社会が共鳴できる音を作り上げているものは何かを考えた結果だ。聴きなじみのあるシンプルなシンセのメロディラインを入り口にすれば、入りやすいということだね。
アルバム1曲目の〈Kuzodlula〉は「赦すことのできないものを赦す」ことを歌った曲だ。サウンド的にはとても親しみやすいが、メッセージは赦しの難しさについて…と実に複雑だ。この曲を初めて聴いた人は聴きやすさから「この曲は好きだな」と思い、その意味に興味を持つ。そして「実は複雑な曲なんだな」と気づく。つまり「招待状を開く」ための、音のデザインによる戦略だ。その実現に大きく協力してくれたのは、18歳になる私の息子ティンゴ・マカティーニだった。彼は普段はプログラムされた音楽ばかり扱っているが、子供の頃は(コルトレーンの)『A Love Supreme』を聴いて育った。家で私がかけるのがそれだけだったから、選びようがなかったんだ。でも自分で選べるようになると、別の音を探し始めた。今では、息子も多様な音楽が混在する世界に生きているが、アフリカのサウンドへの意識も持っているよ。
だから私は、これが人々がアフリカの先住的な知の世界に触れるための、とてもいい第一歩になると思っているんだ。
――キーボードやプログラムを使うことで、あなたが伝えたいメッセージのディテールを音で表現しやすくなった例はありますか?
たとえば〈Liyoze Line Nangakithi〉はシャバカが吹く先住のフルートをフィーチャーしている。彼も先住的なものを探究している一人だが、ライヴでは電子機材も多用している。去年Enjoy Jazz に彼とのデュオで出演したが、彼は山ほど電子機材を持ってきてたよ。私は3つだけ。それはともかく…問題は「Time」ということだ。今はテクノロジーの時代であり、私たちは新しいテクノロジーを通して、祖先に歌ってもらっている。
たとえば、ライヴではそれをかなりはっきりとやっているよ。アフリカの村で何十年も前に録音された音をたくさんサンプリングし、使っている。沈黙を超えた目に見えない場所から祖先たちにそこにきてもらい、テクノロジーを通じて語ってもらいたいんだ。新しいものを通して、過去と出会うための戦略なんだ。
――〈What People Say (reprise)〉にBlack Coffeeが参加していて、彼のプログラムが曲の重要な要素になっています。この曲にBlack Coffeeが必要だった理由を聞かせて下さい。
彼が私にとって必要なコラボレーターだったのは、まず同じ音楽学校に通っていたので、長い付き合いで、お互いをよく知る友人だから。そして、私たちにはその学校で学んだジャズの知識を共有している。それに、私はこれまで彼のレコードにはほとんど参加してきたので、彼の世界の人たちはみんな知っている。ところが私の世界、ジャズのフォロワーは誰も私たちの関係を知らない。それで、今度は彼に参加してもらったということだね。
つい先日、ロンドンO2ArenaでBlack Coffeeと演奏した。2万人の前でやるなんてことは、ジャズ・ミュージシャンには毎日ある話じゃない。そこで、私たちのナラティヴが重なり合うんだ。Black Coffeeの音楽はダンスフロアの音楽だ。ダンスフロアが、意識を整える場だと考える人はいないだろう。むしろ逆で、何も考えず、踊って悩みを忘れる場だと思っている。でもダンスフロアにもこのメッセージを聞くべき人たちが大勢いると考えている。癒しを必要としている人がいるんだ。だから、私たちは考える。「ダンスソングという癒しの効能をもった薬に、何を加えれば、人は踊りながら癒されるんだろう?」ってね。いつもダンスフロアにいる若者たちに、どうすればこの「神話」を知ってもらえるか。先ほどの話と同じだ。対話を生む方法を考えねばならないんだ。こちらが彼らがいる場へ出向くんだ。そして彼らをコンサートホールに「招く」んだ。そうすれば、彼らは踊りながら「なんだ、この気持ちいい曲は?」とShazam して「Nduduzo Makhathiniって誰だ?明日、小さい会場でやってるな。じゃあ見に行こうか」と思うかもしれない。
結局、Sun Raが言っていたのも同じじゃないかな。この世界で生きることを、もっと広い視野で考え、外に向かって手を伸ばすということ。ジャズをクラシック音楽のように、どこでも気軽に聴ける音楽ではなくて、特別な音楽だとして”パッケージ化”したのは、レコード・レーベルの西洋的な発想だ。でも本来のジャズは、ダンスミュージックであり、いつでも聴ける音楽だった。ジャズがどこかのコンサートホールや、小さな会場に閉じ込められたのは、ごく最近のことだ。ジャズが当時のポピュラー音楽だったことを考えれば、私たちは今のポピュラー音楽を作っている人たちと手を携えあい、マイルス・デイヴィスが願っていた場所へジャズを取り戻す必要がある。
マイルスはマイケル・ジャクソンの曲を取り上げた。それがなぜ重要だったか? 彼は自分の音楽に受け継がれたアフリカの先住の知を守り、若い世代にも知ってほしいと考えていた。同様のことをハービー・ハンコックも世界中でやっている。若い人たちが彼の音楽の世界に入るのに入りやすい「道」を作っている。そして一旦、入ったなら、その世界に溢れる音楽に気づくんだ。いやがおうでも『The Prisoner』を聴かねばならなくなる。他のレコードも聴かねばならなくなる。そしてウェイン・ショーターへ繋がる。「Cantaloupe Island」のような聴きやすい1枚をきっかけに、彼の世界へと招き入れられるんだ。
先人たちは昔から、知の体系を守るため、「音をデザインする(≒目的を持って構成する)という戦略」をとってきた。ジャズを排他的なジャンルにしてしまったら、未来にジャズは残らない。いずれ消滅する。今すぐにでも、人々がいるところへジャズを戻さなければ。音楽は人がいる場所へ行く必要がある。もしコンサートホールや教会よりも、クラブで人が集まるのが今の世代なのだとしたら、そこにこちらから行き、皆を音楽に招き入れねばならない、ということだよね。
――〈Imvunge KaNtu〉はすごく個性的な曲です。このアルバムの中では他とかなり異なる曲だと感じました。
Imvunge とは人が出す音、一種の讃美歌、ノイズのことだ。Nguni の人々の系譜だけでなく、神々について、それはuNomkhubulwaneから、ヨルバの女神 Oshun、キューバにおけるディアスポラにもつながり、それらがどう結びついているかを歌っているんだ。
私はこの曲をデビュー作『Sketches of Tomorrow』で取り上げた。2015年の『Listening to the Ground』でも再び録音した。これもまた「知の体系を守る」ことの一つだ。同じ起源に関する曲だが、進化し続けている。私は起源という問いと向き合い続けねばならない。今でも日々「私は何者なのか?」「どこからきたのか?」と問いかける。だからこの曲は時を経て、何度もアルバムに登場するのかもしれない。
――〈Imvunge KaNtu〉の神秘的なハーモニーはどんなところから学びましたか?
オーネット・コールマンは Harmolodicsという概念について語っている。『The Shape of Jazz To Come』を録音した時、彼は自由に根ざした新しい語彙を探していた。ただ自由っていうのは実に複雑なテーマだ。人が「自分はフリーな音楽を演奏している」と言う時、大抵は非常に複雑な和声構造、西洋和声の体系の中でやっているに過ぎない。それは、物事を成り立たせる基本的な仕組みとしての、単一性(singularity)の問題を提示している。
つまりこの曲が目指すのは、西洋和声が唯一であるというヘゲモニー(支配的優位性)に挑み、複数(plurality)の「他の手段」を生み出すこと。だからとても複雑に聴こえるんだ。それは自分たちを普遍的なものとするために、ある種の知の体系を消滅させようとしている体系への抗議だ。だから、非常にヘビーな音楽的脱構築が行われている。そもそも、普遍的なものとして提示されているのは、真に普遍的なのではなく、ただ西洋的だというだけだ。私が示したいのは、西洋のクラシック楽器が前提とする和声の考え方と、アフリカの即興の発想や志向の間には、根本的に和声上の緊張関係があるということなのだよ。
――今回は全体的にゴスペルっぽさを感じたのですが、どうですか?
特に〈Unembeza〉で言えることだが、この曲は南アフリカの教会音楽の伝統で書かれている。アフリカ、特に南アフリカに西洋の楽器が持ち込まれたのは、宣教師がピアノや管楽器を使って讃美歌を教えたからだ。人々は教会で楽器と出会い、そのことが南アフリカにおける様々な教会音楽のジャンルの誕生につながった。Marabi、Mbaqamga、Kwelaといった南アフリカ固有のジャズのスタイルもそうやって生まれた。楽器の演奏技術は限られていたので、そこからいわゆるI-IV-Vのコード進行が生まれた。I-IV-V進行はブルースでも、黒人霊歌でも使われている。つまりは、アフリカの人々が西洋の楽器を学び始めた当初、ごく自然に、そうしたコード進行に傾いていったということだ。
しかしその根底には、大西洋奴隷貿易の歴史やアパルトヘイトによって知が断絶させられようとしても、自分たちが何者であるかを忘れまいとする抵抗がある。抗議の精神がある。ゴスペル音楽として演奏されているが、実は教会の教えには批判的なんだ。南アフリカで起きていたことはまさにそういうことだ。人々はキリスト教を受けいれたが、その代償として先住の信仰体系を失った。だから衝突が生まれた。私たちがゴスペルを聴く時、それはキリスト教への服従を意味するわけではない。そうではなく、キリスト教がもたらした音楽、神学としてのキリスト教、そして先住の精神性を忘れまいとする意志、その三者の間の衝突を露呈させるものなんだ。
そして今、偉大なるアブドゥーラ・イブラヒムが亡くなったことで、〈Unembeza〉はとりわけ深い意味を持つと思う。このような演奏スタイルを世に広めたのはイブラヒムだからだ。〈Unembeza〉を聴けば、(イブラヒムの名曲)〈Mannenberg〉が思い浮かぶ。そしてミリアム・マケバ、イブラヒム、ヒュー・マセケラが私たちに残してくれた数々の楽曲が思い浮かぶ。
だからあのゴスペル的響きは、キリスト教がいかに私たち南アフリカ人に押し付けられてきたかという事実と向き合った結果だ。聖書を研究させられ、キリスト教を学ばされる中、音楽だけが自分たちの自由を注ぎ込める場だった。一見矛盾しているようにも見えるが、私たちは一種のパラドックスとして利用したんだ。キリスト教を受け入れたのではない。教会がパイプオルガンの増幅された大きな音を響かせて村に入り込み、村の繊細な音の世界を侵食していったことについて語っているんだ。私たちには、パイプオルガンの音を聴かないという選択肢がなかった。たとえ教会に足を踏み入れなくても、村全体に侵食してくるパイプオルガンの音を聴かないわけにはいかなかった。uMakhweyan(ズールーの伝統的な弓状の弦楽器)を演奏したくても、音がかき消されて聴こえないんだ。
この曲の背後にはそんな複雑な物事があるんだ。つまり、この音楽を演奏することは政治的な行為なんだよ。イブラヒムやミリアム・マケバ、その他の南アフリカの音楽家たちの作品を聴けば、政治だってわかるのと同じことだね。
■リリース情報
ンドゥドゥゾ・マカティーニ The Myth We Choose
Available to purchase from our US store.ンドゥドゥゾ・マカティーニ AL『The Myth We Choose』
2026年6月26日リリース
収録曲:
1. Kuzodlula
2. Imvunge KaNtu
3. Kwamabili
4. Unembeza
5. Liyoze Line Napgakithi
6. What People Say
7. Primordial Egg
8. Ekugaleni
9. Linwalo la Mubebi
10. Umbono
11. Linwalo la Mubebi – reprise
12. Tethered
13. Ongaphesheya
14. What People Say – reprise
15. Kuzodlula – reprise
16. Zimthilili
パーソネル:ンドゥドゥゾ・マカティーニ(p, keys, vo)、ダリス・ンドラーズィ(b)、ルクミル・ペレス(ds)、シャバカ・ハッチングス(fl on #5)、ブラック・コーヒー(programming on #14)、他
