1965年初頭、ジョン・コルトレーンは多忙を極めていた。成し遂げるべきことは多く、時間は限られていた。更にインパルス・レコードとの契約は年間3作のアルバム制作を義務づけており、その年だけでスタジオ・セッションは実に13回に及び、さらにニューヨーク、ニューポート、シアトル、パリ、アンティーブでライヴ録音も行っている。

コルトレーンは友人であるノルウェーのジャズ評論家ランディ・ハルティンに、自身のバンド(ピアノにマッコイ・タイナー、ベースにジミー・ギャリソン、ドラムにエルヴィン・ジョーンズ)が忙しすぎて「ミュージシャンたちは何も話してくれない」と報告した。しかし少なくとも1965年初頭、コルトレーンの私生活は落ち着いていた。新妻アリスと2人の子供と共に、新たに購入したロングアイランドの家で幸せに暮らしていたのだ。

時代を画した『至上の愛』は1964年12月に録音され、翌年1月に急遽リリースされた。その後、2月17日にコルトレーンはルディ・ヴァン・ゲルダーのスタジオに戻り『オーレ!コルトレーン』と『アフリカ・ブラス』ですでに参加していたベーシスト、アート・デイヴィスを迎え『カルテット・プレイズ』の制作を開始した(1965年当時、彼のカルテットは絶大な評判を誇っていたため、彼のキャリアの中で唯一、カルテット名を明示的に冠したアルバム・タイトルとなった)。録音された日にちが散在しているためか、本作は正当に評価されることがこれまで少なかったかもしれない。しかしここには生き生きとした力強い音楽が息づいており、常に新鮮な驚きをもたらす響きが刻まれているのである。

ジョン・コルトレーン、エルヴィン・ジョーンズ、マッコイ・タイナー、ジミー・ギャリソン。写真:フランシス・ウルフ。

カルテットはまず、エデン・アーベズ作曲の魅惑的な楽曲「ネイチャー・ボーイ」を2テイク、録音した。この曲はナット・キング・コールが1948年に残した演奏で広く知られていた。アルバムには2回目のテイクが採用された。これは実に見事な演奏であり『ニュー・シング・アット・ニューポート』の雛型を提示するものであった。冒頭ではタイナーが大陸の失われた景観を思わせるような巨大で神秘的な和音を鳴らし、コルトレーンが悠然と旋律をなぞって行く。ジョーンズが4/4のリズムに移行すると、彼らはコード進行を省き、モード的に曲を展開するという、もはや彼らの代名詞となったスタイルで演奏を進めた。演奏の約6分辺りには興味深い瞬間が訪れる。コルトレーンがマイクから一歩退いたかのように聴こえ、デイヴィスの弓弾きによるベースが突如として前面に浮かび上がるのである。

『ジョン・コルトレーン・カルテット・プレイズ』は、5月17日に2回目のセッションを経て完成した。2回目のセッションには、ベースのデイヴィスは参加していない。まず最初に録音されたのは、1964年のミュージカル映画『メリー・ポピンズ』の名曲「チム・チム・チェリー」であり、リチャードとロバート・シャーマン兄弟の作曲によるものである。おそらくこれは過去の栄光を振り返る試みであり「マイ・フェイヴァリット・シングス」や「グリーンスリーヴス」、「ジ・インチ・ワーム」に見られるような、ソプラノ・サックスによるワルツの延長線上にある演奏であった。しかしながら、ここでも彼らは魅惑的なモード展開を見せており、またコルトレーンにとって最後のスタジオ・カヴァー作品となった。この後は、全てがオリジナル作品によるものとなるのである。

続いてカルテットは「ブラジリア」を録音した。これは1961年の伝説的なヴィレッジ・ヴァンガードでの演奏で初めて披露された曲のアップデート版である。ルバートの冒頭では、コルトレーンのテナーがかつてないほど威厳に満ちた響きを示し、ジョーンズの驚異的に長いドラム・ロール、キック・ドラムによるアクセントも聴きどころである。このカルテットの緊張感は恐ろしいほどであり、約13分に及ぶ演奏の間、エネルギーはほとんど途切れない(約11分以降、エルヴィンは拍子を完全に放棄し、印象派的な叩き込みでキット全体を駆け巡る)。

5月17日のセッションの締めくくりは「ソング・オブ・プレイズ」である。ギャリソンがフラメンコ風の和音で曲を先導しており、これは明らかにスタンリー・クラークに影響を与えている(彼の「Spanish Phases For Strings And Bass」を聴けば分かる)。コルトレーンの蛇行する旋律には強い東洋的な香りが漂い、終盤のタイナーの狂詩的な演奏が曲を崇高な領域へと引き上げているのである。

1965年夏を迎える頃、コルトレーンは未来へ向けて加速していた。驚異的なアルバム『アセンション』は6月28日に録音され、ニューポートやアンティーブでの名誉ある公演も控えていた。『カルテット・プレイズ』は最終的に8月にリリースされ、コルトレーンはランディ・フルティンに対し、エルヴィンの演奏に「いら立つこともある」が、ドラマーを失うことを恐れていること、そして名高いカルテットなしではヨーロッパ・ツアーに行く「勇気」が自分にあるかどうか分からないことを語っている。この言葉には非常に先見の明があった。数か月後にマッコイはコルトレーンのもとを去り、エルヴィンも1966年初頭に続くことになるのである。


マット・フィリップスはロンドンを拠点とするライター兼ミュージシャン。Jazzwise、Classic Pop、Record Collector、The Oldiesなどに寄稿。著作に『John McLaughlin: From Miles & Mahavishnu to the 4th Dimension』と『Level 42: Every Album, Every Song』がある。


ヘッダー画像:ジョン・コルトレーン。写真提供:Verve Records。