【DIGGIN’ THE NEW VINYLS #9】
キース・ジャレット『ケルン・コンサート』50周年20周年記念 2LP
心かき乱すメロディとリズムの洪水、“何のために生まれてきたのか、何のために生きるのか”と音を通じてこちらに問いかけてくるようなすごみ。それらを私は1970年代のキース・ジャレットに感じてやまない。人間音楽の極北のひとつにあげたくなる『残氓 (ざんぼう)』を筆頭に、『シェイズ』、『バックハンド』、「札幌」のパートのきらめきが群を抜く『サンベア・コンサート』、偶数曲のメロディの美しさがこの世のものとは思えない『マイ・ソング』、シンフォニックな『アーバー・ゼナ』、ブルージーとかファンキーとは真反対のオルガン・サウンドを深々と響かせる『讃歌』、キースの才気が我が身をわしづかみにする。この音楽家に出会えてよかったと、聴くごとに喜びが噴き出る。
キース・ジャレット ケルン・コンサート(50周年記念限定盤2LP)【直輸入盤】【限定盤】【ゲートフォールド・デラックス仕様2LP】【アナログ】
Available to purchase from our US store.が、圧倒的に親しまれ、愛され、世代を超えて聴き継がれているキースの作品となると、『ザ・ケルン・コンサート』に焦点が絞られよう。1975年1月24日に収録され、初めての国内盤は同年10月1日に登場。私が親の本棚から雑誌「スイングジャーナル」を取り出して読むようになったのは少しあとのことだが、すでにその時、『ケルン』は人気盤・ベストセラー盤の地位にあり、「ジャズ喫茶リクエスト・ベスト10」のようなコーナーにも相当長期間ランクインしていた記憶がある。一説によると累計売り上げは400万枚にものぼるそうで、これはジャズのアルバム、ピアノ独奏のアルバム、即興演奏のアルバム、どの分野においても異例の、まさしく快挙というしかない。しかもアナログ盤は2枚組なのだ。
これもまた人気の証明ということか、『ザ・ケルン・コンサート』は最も初期にCD化されたアイテムのひとつとしても歴史に名を残す。1983年にドイツのECMレーベルから発売された後、翌84年2月1日にポリドールから国内発売された(売価3800円)。アナログ2枚目のB面にあたる「Part II c」を除く全3トラックで構成されていたが、盤を裏返す必要がなく、スクラッチ・ノイズとも無縁なCDを通じて楽しむ『ケルン』の世界は聴き手に新たな地平を提示したことだろう。
それから40数年、録音から50年――
時代が一巡りしたというべきか、今、『ザ・ケルン・コンサート』が“アナログ盤の新譜”として再び市場に並んでいる。題して『The Köln Concert – 50th Anniversary Special Edition』。既存のアナログ盤との大きな違いは、8ページにわたるブックレット(ライナーノーツを含む)が張り付けられていること、さらに演奏中のキースを捉えたプリント(𝗮𝗿𝘁 𝗽𝗿𝗶𝗻𝘁)が封入されていること。楽曲面での“おまけ”がないが、それも潔くて良い。アナログ2枚目のB面にあたる「Part II c」は約7分のパフォーマンスだから、他の3面にくらべて極度に時間が短いのだが、溝はけっこう長い距離で彫ってあり、目の回らない程度に溝と張りを見ながら鑑賞するのも一興かもしれない。演奏に関しては、“キース・ジャレットはとんでもないメロディ・メイカーであるなあ”ということに尽きる。ピアノの鍵盤に指をおろした途端、この、あまりにも印象的な5音が紡がれ、そこからウワーッと抒情と官能の世界が広がっていくのだから、いったい彼の中にはどれほどまでに魅力的な旋律が埋蔵されているのか、こちらとしては驚嘆まじりで聴き入るばかりだ。たとえば、あなたが、いきなり「千何百人の前で即興で面白い話を1時間以上してください。録音して後で発表しますよ」と言われたら、できますか? 私はできない。だがキースはそれに類することを、プロの音楽家として、プロのピアニストとして、やり続けた。その営みのひとつが、この『ザ・ケルン・コンサート』であるということだ。
昨年末にはクラシック・ピアニストの山口ちなみが、キース本人の校正が施された楽譜を奏でたというアルバム『The Koln Concert』を発表し、来たる4月10日からはイド・フルーク監督のドイツ映画『1975年のケルン・コンサート』も公開される。私はフライング鑑賞をさせてもらったが、すっかりトシをとった関係者の思い出話が延々と続くようなドキュメンタリー・フィルムではなく劇映画であり、ということはつまり、キースやECMの総帥であるマンフレート・アイヒャーに扮する俳優も出てくる。このコンサート開催に奔走したヴェラ・ブランデスがまだ十代であったこと(ただしプロモーターとして、それなりの実績は積んでいた)、キースに弾かれることになったピアノが彼の要求するレベルのものとは著しく異なっていたこと、などなど、描かれているエピソードに関しては数々の評伝や評論などでファンには知られているかもしれないが、それを役者の演技を通じて視聴するという行為によって、文字を読んで頭の中で想像するさまとはまた異なる世界が広がってくるのは明らかであり、そういう意味でもこの映画は一見の価値がある。何しろ半世紀前の物語・・・・・つまり一種の「時代劇」であるがゆえにブランデスに扮する役者が画面越しに状況を説明するシーンもあるのだが、このやり方は昨年9月に公開された劇映画『ブライアン・エプスタイン 世界最高のバンドを育てた男』とも共通していて、今後、昔の状況を描く時には、こういう“出演キャラに(今、見る者に向けて)ト書きを言わせる”演出が増えてくるかもしれない。また、物語の本筋とはちょっと離れたパートかもしれないが、マイルス・デイヴィスが1973年にベルリンで演奏するシーンで、その音楽に合わせて観客がノリノリで踊っている場面(当時のマイルスの姿と、観客に扮した今の役者をうまく編集で重ねあわせている)にも胸のすく思いがした。エレクトリックだの、アコースティック時代との差異がどうのこうのという前に、電化マイルスは腰にズドーンと来る。下半身直撃の呪術的なダンサブル・ファンクが迫ってくれば、それはもう、からだを揺するしかないだろう。
キースの『ケルン』もまた、十二分にダンサブルなパッセージがある。「Part II a」の最後の瞬間を頭に残しながら、新たな盤をターンテーブルにのせて「Part II b」の最初の音に出会うまでの数十秒、これはアナログ盤再生だからこその贅沢な時の流れである。
