『After The Last Sky』というタイトルは、パレスチナの詩人マフムード・ダルウィーシュの詩に由来するものである。ブラヒムの40年に及ぶキャリアにおいて、ダルウィーシュの名が登場するのはこれが初めてではない。2009年に発表された『The Astounding Eyes of Rita』もまた、北欧ジャズとアラブ古典音楽を融合させた神秘的な作品であり、故ダルウィーシュに捧げられていた。
そもそもブラヒムは、政治的な表現を避けてきたわけではない。2006年には、イスラエルとヒズボラの戦争を背景に、レバノンを舞台としたドキュメンタリー映画『Mots d’après la Guerre』を監督・共同制作している。また、アラブの春の初期には、母国での激動に対する個人的な応答として、2014年の2枚組アルバム『Souvenance』の基盤となるドラマティックなオーケストラ作品を作曲した。

ANOUAR BRAHEM / After The Last Sky
Available to purchase from our US store.1957年、チュニジアのチュニスに生まれたアヌアル・ブラヒムは、10歳でウードを弾き始め、国立音楽院に通った。才能に恵まれていた彼は、アラブ古典音楽の名匠アリ・スリティの指導を受けた。彼の出身地であるチュニスの街は、若き日のブラヒムに大きな影響を与えた。チュニジアの首都では、アラブ=イスラムの伝統がアフリカや地中海の文化的影響と何世紀にも渡り、交じり合って来たのである。
ほどなく、若きウード奏者は自らの真の使命を見出すこととなる。彼は歌手の伴奏を務めたり、結婚式やオーケストラで演奏したりすることを目指してはいなかった。彼の目標は、あらゆる音楽的影響を融合させた独自の作曲スタイルを築き上げることであり、ウードを高度な独奏楽器として再定義することであった。
1980年代、チュニスとパリを行き来していたブラヒムは、主にバレエ、映画、劇場音楽で活躍した。当時すでに彼は同世代で最も影響力のあるアラブ系音楽家の一人としての地位を確立していた。フランスのジャズ音楽家たちとのコラボレーションを通じて、彼は新たな環境を探求し、多くの実験的な試みに挑戦していた。
1990年、ブラヒムはECMのプロデューサー、マンフレート・アイヒャーと出会う。二人の相互の敬意は、長年にわたるコラボレーションへと発展し、現在も続いている。『After The Last Sky』は、2024年5月にルガーノで録音され、アイヒャーのプロデュースによって完成した。両者の出会いから34年の間に、ブラヒムはECMから11枚のフル・アルバムをリリースしており、いずれも高い評価を受け、世界中で熱心なファン層を築いてきた。
ECMとの繋がりは、新たな人材への確かな扉を開いた。次のアルバムでは、ノルウェーのサックス奏者ヤン・ガルバレクやパキスタンのタブラ・マスター、シャウカット・フセインと共演した(『Madar』1994年)。イギリスの即興音楽界のイノベーター、ジョン・サーマンやデイヴ・ホランドと共に録音した『Thimar』(1998年)は、内省的かつアンビエント・ジャズ的な傾向を持つ作品であり、彼のキャリアにおける最大の商業的成功作の一つとなった。いくつもの賞を受賞し、広く称賛を集めた作品である。

ピアニスト、フランソワ・クチュリエとアコーディオン奏者、ジャン=ルイ・マティニエとのトリオで2002年に録音され.『Le Pas du Chat Noir』は、ブラヒムのアラブと地中海のルーツをフランス印象派の作曲技法と融合させたものだ。『After The Last Sky』のライナーノーツも執筆している作家アダム・シャッツは、ニューヨーク・タイムズ紙においてこの音楽について次のように記している。「これは21世紀のアンダルシアのような響きを持っている。そこではアラブとヨーロッパの感性があまりにも緊密に融合しており、もはや両者の間に境界は存在し得ない。その全てはユートピア的に聞こえるかもしれないが、このプロジェクトの美しさは疑いようがない」
2017年にリリースされた『Blue Maqams』は、アラブ古典音楽の旋法(マカーム)の中でジャズ即興を展開することをテーマとしたアルバムであり、ブラヒムの作品群の中でも特に愛される一枚となった。この作品には、ベーシストのデイヴ・ホランドに加え、ピアノのジャンゴ・ベイツ、そしてかつてマイルス・デイヴィスのバンドでトニー・ウィリアムスの後任を務めたドラマー、ジャック・ディジョネットが参加している。
そして、ブラヒムの秀逸なディスコグラフィーにおける最新作『After The Last Sky』は、深い瞑想性をたたえた四重奏作品である。本作にもデイヴ・ホランドとジャンゴ・ベイツが引き続き参加しているが、さらにチェロ奏者アニヤ・レヒナーが加わっている。彼女はブラヒムの詩的な室内楽に、憂いを帯びたポスト・ロマンティックな弦の旋律を見事に吹き込んでいる。

ブラヒムは本作の楽曲群を、ガザ戦争の惨状が続く中で書き上げた。彼は1980年代、パリとチュニスにおいて学生、知識人、芸術家たちと交わる中で、パレスチナ問題に深い関心を抱くようになったという。しかしながら、前述の作家であり研究者であるアダム・シャッツは、ライナーノーツの中で『After The Last Sky』を「プロテスト音楽」として位置づけるべきではないと強く主張している。それは本作の本質的な力を損なうことになるからである。
アヌアル・ブラヒムは、音楽と芸術が政治や歴史を超越する力を持つことを深く理解している。シャッツによるエッセイの中で、ブラヒムは次のように語っている。「器楽音楽とは本質的に抽象的な言語であり、特定の思想を伝えるものではない。それは感情や感覚に訴えるものであり、受け取り方は人によって異なる。私は聴き手に対して、彼ら自身の感情、記憶、想像を自由に投影して欲しいと思っている。こちらから『導く』ことはしたくない」
言い換えれば、『After The Last Sky』は明確なメッセージを有していない。と言うのも、それを必要としないからである。その存在自体が深い人間性の反映であり、我々の周囲に広がる闇や絶望に対する、事実上のアンチテーゼとして立ち現れるのである。そしてそれは、明示的な抗議の音楽以上に、わずかばかりの希望や共感、思いやりの光を我々に与えてくれるかもしれないのだ。

ANOUAR BRAHEM / After The Last Sky
Available to purchase from our US store.ステファン・クンツェはドイツを拠点とするライター、書籍執筆者、Everything Jazzの委託編集者。実験音楽と文化に関するニュースレター「zensounds」を執筆。
ヘッダー画像: アヌアル・ブラヒム。Photo: サム・ハーフーシュ。