1969年1月、厳しい寒さが身に染みるある日、イングランド・エセックス州リー・オン・シーのテムズ川岸で、UKのジャズ・ピアニスト/作曲家/バンドリーダーであったマイク・テイラーの遺体が発見された。身元は1週間以上に渡って不明のままであり、地元紙サウスポート・スタンダード紙は「水路で発見された謎の遺体」と見出しを打ち、長いあごひげをたくわえ、ズボンを二重に履いた男の死を陰鬱に伝えた。

「その死後、テイラーの名はごく親しい友人たちを除いて人々の記憶から消えていった。ランズダウン・シリーズから発表された2枚のアルバムは長らく埋もれたまま、やがてコレクター市場で驚くべき高騰を見せ始めた」と、UKジャズ史研究家トニー・ヒギンズは、待望の『Pendulum』アナログ盤リイシューに寄せた博識に満ちたライナーノーツの中で綴っている。

Mike Taylor Quartet Pendulum

MIKE TAYLOR QUARTET / PENDULUM

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マイク・テイラーがカルテット及びトリオ編成で残した2枚のアルバム『Pendulum』(1966年)及び『Trio』(1967年)のリイシューは、デッカが手掛ける〈British Jazz Explosion〉シリーズの一環として復刻された。本シリーズは、これまでにもドン・レンデル・クインテットの『Space Walk』(1972年)、ハリー・ベケットの『Flare Up』(1970年)、ジョン・サーマン&ジョン・ウォーレンの『Tales Of The Algonquin』(1972年)、ジョー・ハリオット・クインテットの『Movement』(1964年)、ジョン・キャメロン・カルテットの『Off Centre』(1969年)といった、熱烈な支持を受けるUKジャズの名盤を次々と蘇らせてきた。

現在では1,000ポンド超の高値で取引されるようになったこの2作品は、いずれもデニス・プレストンの手により、ウェスト・ロンドンの名門ランズダウン・スタジオで録音されたものである。今回の復刻にあたってはギアボックス・スタジオで新たにリマスタリングが施され、初の180グラム重量盤としてリリースされた。短命ながらも類まれな才能を放ったマイク・テイラーへの、正に相応しいオマージュと言える。

30歳で夭逝した当時、彼の死を報じた記事はごく僅かであった。LSDと大麻の過剰使用、精神錯乱、そしてホームレス状態を経ての死であり、メロディ・メイカー誌に掲載されたわずか数行の訃報にて、ボブ・ドーバーンは「彼はジャズの荒っぽくてタフな世界にはあまりに繊細で風変わりすぎた……銀行員のような見た目で、神秘主義者のように振る舞っていた」と記している。

MIKE TAYLOR TRIO

MIKE TAYLOR TRIO / TRIO

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マイク・テイラーはロンドン西部のイーリングで祖父母に育てられ、幼い頃からピアノに親しんでいた。空軍勤務を経て、コベント・ガーデンにあった〈Nucleus〉というコーヒーバーの地下で深夜ジャム・セッションの常連として頭角を現す。60年代初頭には、プレ・クリーム期のジャック・ブルースやジンジャー・ベイカー、そして後に自身のカルテットのメンバーとなる面々と様々な編成で活動を共にする。ドラマーのジョン・ハイズマンとベーシストのトニー・リーヴスは後にプログレッシヴ・ロック・バンド「コロシアム」に参加し、サックス奏者のデイヴ・トムリンは「ハイ・タイド」でサイケデリック・ロックを展開しながら、ロンドン・フリー・スクールではフリージャズ・セッションを主催するなど、カウンター・カルチャーの只中に身を置いていた。テイラーにとって、こうした自由な発想と実験精神を備えた仲間たちは、彼自身の“ニュー・シング”を模索する上で正に必要不可欠な存在であった。

彼のイノベーションの拠点となったのは、ロンドン西部ホランド・パークにあるデニス・プレストンの有名なランズダウン・スタジオだった。作家でありラジオの司会者からプロデューサーに転身したプレストンは、1956年にランズダウンを、スキッフルやトラッドの録音拠点として設立、やがてUKモダン・ジャズの最前線基地へと発展して行く。トニー・ヒギンズがコンパイルした『Impressed with Gilles Peterson』(2002年)のおかげで、プレストンのランズダウン・シリーズには、ドン・レンデル=イアン・カー・クインテット、アマンシオ・ダシルヴァ、ジョー・ハリオット、ニール・アードレイらの重要作が名を連ねていた。

1966年にランズダウンで録音された『Pendulum』は、同年に誕生したジョー・ハリオット・ダブル・クインテットの『Indo-Jazz Suite』や、ドン・レンデル=イアン・カー・クインテットの『Dusk Fire』と並び、UKジャズ史における画期的作品のひとつとされる。イアン・カーはライナーノートにて「この作品はUKジャズにおけるひとつの金字塔であり、ハード・バップやファンキー・スタイルがすでに終焉を迎え、“ニュー・シング”や“アバンギャルド”といったスローガンが新たに叫ばれる時代に育った若き音楽家たちによる初期の記録のひとつである」と記している。

『Pendulum』のA面には3曲のスタンダードが並ぶ。カーの言葉を借りれば「テイラーの思考の化学反応によって、楽曲そのもののアイデンティティが変容する」演奏である。ジョージ&アイラ・ガーシュウィンによる「But Not for Me」では、衝突し合うリズムセクションの背後と上空を漂うように、テイラーのほとんど不協和音に近いピアノが印象を決定づける。そこにデイヴ・トムリンのサックスが自由自在に舞い上がる。ディジー・ガレスピーの「チュニジアの夜」では、更に驚く事に13分におよぶ自由なインプロビゼーションを通じて、原曲を内側から解体しつつもファンクのエッセンスを保ったまま再構築するという離れ業を披露している。テイラーは200曲以上の作品を残したとされており、『Pendulum』B面に収録された3曲のオリジナルは、その作曲能力のほんの一端を示すに過ぎない。そこには、モード・ジャズからアヴァンギャルド、そして現代クラシックの潮流までを跨ぐ、彼ならではの境界なき創造力が垣間見える。

マイク・テイラーは、セカンド・アルバムの制作にあたり、前作『Pendulum』でも共演したカルテットのドラマー、ジョン・ハイズマンを再び起用した。ハイズマンはその直後、グレアム・ボンド・オーガニゼーションへと加入するが、そのリーダーであるボンドは、テイラーとLSDを常習的に共にするパートナーでもあったという。加えて本作では、過去のカルテットに在籍していたロン・ルービンと、クリーム結成メンバーであるジャック・ブルースという2人のベーシストが起用された。なお、ブルースのバンドメイトであるドラマー、ジンジャー・ベイカーもかつてテイラーの初期クインテットで演奏していた間柄である。『Trio』は、『Pendulum』と同様に、スタンダードの大胆な再解釈とテイラー自身の創作楽曲によって構成されている。前作の延長線上にある作品として、トニー・ヒギンズは本作について「ヨーロッパ現代音楽とポスト・モードの印象主義が完全に融合した、既存の分類を超えた独自の音楽空間を形成している」と評している。

LSDの使用がテイラーの音楽的ビジョンを拡張したのか、それとも妨げたのか──その答えが明らかになることはない。しかし確かなのは、彼の精神状態が次第に危険な域に達して行ったという事実である。『Trio』の録音当時について、共演者のデイヴ・トムリンは死の直前にトニー・ヒギンズへこう語っている。「『Trio』を録る頃には、マイクの狂気はあまりにも極端になっていて、僕たちは関係を断ち、共に仕事をすることは不可能になっていた」。

結果的にテイラーが生前に残したリーダー作は2作のみだが、その作品は他の場所でも姿を見せている。1969年、ニール・アードレイ指揮のニュー・ジャズ・オーケストラによる『Le Déjeuner Sur L’Herbe』ではテイラーの楽曲が採用され、同作にはジョン・ハイズマンやトニー・リーヴスといった旧友たちも参加していた。また、ジンジャー・ベイカーとの縁が元で、1968年のクリームのアルバム『Wheels of Fire』には、テイラーが共作した楽曲が3曲収録されている。さらに1973年には、実験的な楽曲「Timewind」や「Jumping Off The Sun」(デイヴ・トムリンとの共作)などが、旧バンドメンバーたちによってランズダウン・スタジオで録音され、2007年に『Mike Taylor Remembered』としてようやく陽の目を見た。

『Pendulum』と『Trio』のリイシューによって、ようやく再評価の機会が訪れたとはいえ、マイク・テイラーという音楽家の天才の深淵が完全に明かされることはないだろう。トニー・ヒギンズは「彼の精神状態が急速に悪化する中で、数多くの譜面や手稿が自らの手で破棄され、多くの作品が未録音のまま、あるいは失われてしまった」と書いている。生前に書かれた作品は200曲を超えるとされているが、録音や演奏に至ったものは極わずかに過ぎないのだ。


アンディ・トーマスはロンドンを拠点とするライター。Straight No Chaser、Wax Poetics、We Jazz、Red Bull Music Academy、Bandcamp Dailyに寄稿している。又、Strut、Soul Jazz、Brownswood Recordingsでライナー・ノートを執筆している。