ブルーノートが2022年にロバート・グラスパーの『ブラック・レディオ』の10周年記念盤をリリースしたとき、彼らはひとつの否定しがたい事実を認めた。すなわち、この革新的でグラミー賞を受賞した作品が、発表から十年の歳月を経て、現代のクラシックとして確固たる地位を築いたということである。


すでに高く評価されるピアニストでありバンドリーダーであったグラスパーは、本作の音楽的中核として、ロバート・グラスパー・エクスペリメントというグループを結成した。サックスとヴォコーダーにはケイシー・ベンジャミン、ベースにデリック・ホッジ、ドラムにクリス・デイヴ、そしてキーボードにはもちろんグラスパー自身が座した。さらに彼の構想を実現するため、R&B、ソウル、ヒップホップなど多彩なフィールドから選りすぐりのアーティストたちを迎え入れたのである。

左からデリック・ホッジ、クリス・デイヴ、ロバート・グラスパー、ケイシー・ベンジャミン。2013年2月10日ロサンゼルス『ブラック・レディオ』が最優秀R&Bアルバムを受賞した第55回グラミー授賞式にて。2013年2月10日、カリフォルニア州ロサンゼルスにて。Photo: Michael Tran/FilmMagic via Getty Images.


本作に参加したアーティストの多くは、それぞれがジャンルの境界を打ち破る独自の作品を生み出してきた存在である。中でも、先見性を備えたシンガーでありベーシスト、詩人でもあるミシェル・ンデゲオチェロは、その象徴的な存在であると言えよう。すでに4枚の高い評価を得たアルバムを世に送り出していたグラスパーは、こうした卓越した仲間たちの力を得て、現代ジャズの軌跡を変える「決定的な一線」を音楽に刻み込む準備が整っていたのである。。

今日、多くのアーティストがR&B、ヒップホップ、ソウルなどを融合させた作品を生み出しているが、そのブルー・プリントを2012年の『ブラック・レディオ』において描き出したのは、他ならぬグラスパーであった。

英国のドラマー兼バンドリーダー、ユセフ・デイズが2023年の『Black Classical Music』によって多様な音楽様式との関わりを明確にしたように、グラスパーの『ブラック・レディオ』もまた、ひとつのマニフェストであったのである。アルバム発表後、彼は2013年に『ブラック・レディオ2』、2022年には第3作を発表し、いずれも大きな評価を獲得した。さらに2012年以降に築き上げたヴィジョンは「Black Radio Broadcast」と題された一連のミックスへと発展し、YouTubeで配信されている。

『ブラック・レディオ』においてグラスパーが目指したのは、幅広いジャンルや音楽的伝統の間にある共通性を見出すことであった。2012年にジャズ・タイムズ誌のインタビューで、彼はこう語っている。「この作品の狙いは、音楽を一般の人々に届けることだ。彼らが共感でき、同時に自分自身も共感できるものを提示することだった」と。そして続けて、「私はジャズに共感している。ゴスペルに共感している。ソウルに、ネオソウルに、ポップスに、R&Bに、ロックに、ハード・ロックに、全ての音楽に共感している。それらはすべて自分の一部なのだ。自分の音楽をジャズファンだけの秘密にはしたくない」と語ったのである。

本作の制作においてグラスパーは、ピアニスト、作曲家、バンドリーダーとしての役割に留まらず、プロデューサーとしても手腕を発揮した。ジャズは常に共同作業と相互の影響によって発展してきた音楽であるが『ブラック・レディオ』における彼は、正にヒップホップのプロデューサーのごとく音楽的ヴィジョンの中心に立ち、その構想を具現化するために最適なゲストを迎え入れたのである。

アルバムは「リフト・オフ/マイク・チェック」で幕を開ける。引き締まったビートの上にゆったりとしたピアノ・フレーズが重なり、ジャヒ・サンダンスのターンテーブルによるスクラッチが加わることで、バンドの姿を鮮烈に提示するトーン・セッターである。その直後に登場するのは、リラックスしながらも見事にバランスの取れた演奏をバックに、エリカ・バドゥの個性的な声が歌い上げる「アフロ・ブルー」が展開される。

続く「チェリッシュ・ザ・デイ」では、シャーデーの名曲がR&B色豊かなサウンドに仕立てられ、レイラ・ハサウェイのヴォーカルとケイシー・ベンジャミンによるヴォコーダー・ボイスが交錯する。さらに「オールウェイズ・シャイン」では、ビラルのヴォーカルとルーペ・フィアスコが登場、ジャズとヒップホップのエレメントがトラックの上で完璧に調和している。『ブラック・レディオ』は、サウンドや影響、そしてムードの間を自在に行き来しながら、緻密に構築されたペーシングを誇る傑作である。

先述のミシェル・ンデゲオチェロは、「コンシークエンシーズ・オブ・ジェラシー」において本作でもっとも心を打つ歌唱のひとつを披露し、スウィートでありながら緻密にテクスチャーが重ねられた音像を作り出す。その後にはR&Bバンド、ミント・コンディションのヴォーカリストであるストークリーが「ホワイ・ドゥ・ウィー・トライ」で圧倒的な歌唱力を見せつけ、パンチの効いた陶酔感あるトラックを彩る。

アルバム全体の一貫性を考えれば、単独のハイライトを選び出すことはほとんど不可能であるが、タイトル曲「ブラック・レディオ」はその音楽的意義を凝縮した存在として特筆に値する。ヤシーン・ベイ(モス・デフ)のラップと歌が同曲を牽引し、切れ味鋭いパーカッションの上で巧緻なヴァースが響く。その後には豊潤なピアノ・フレーズが滑り込み、コーラスの歌唱がトラックに用いられた他の音響要素と見事な対比をなすのである。

数々の先鋭的なサウンドの融合や実験的試みを提示してきた本作であるが、グラスパーはそのもっとも大胆な一手をラストに温存していた。ニルヴァーナの「スメルズ・ライク・ティーン・スピリット」をクロージングに据えるという発想は、一歩間違えば破綻しかねない賭けのようにも思える。しかしその成果は、美しく幽玄な響きをもたらすものとなったのである。ヴォコーダーによる歌唱がミニマルな伴奏の上に乗り、グラスパーのピアノが名高いヴォーカル・メロディに対して見事な旋律的カウンターポイントを描き出す。それは、本作が敬意を払いながらも、ジャンルという境界が溶け去る地平へと視線を向けていることを象徴する完璧な結末である。

この10年の間に登場した、ヒップホップ、ソウル、R&Bの領域へと踏み込みながらもジャズに根ざした先鋭的な作品群の多くは、『ブラック・レディオ』なくしては想像し難いだろう。本作は音楽に新たな空間を切り拓き、その余韻は今後も長きに渡りジャズの世界に響き続けるに違いない。サウンド的にも、その炎は発表から10年を経た今日なお少しも衰えておらず、リリース当日に響いた時と同じく新鮮で生命力に満ち溢れているのである。


アンドリュー・テイラー=ドーソンはエセックスを拠点とするライター兼マーケティング担当者。UK Jazz News、The Quietus、Songlinesへ寄稿。音楽以外では、The Ecologist、Byline Times などでも記事を執筆。


ヘッダー画像:ロバート・グラスパー。Photo: Mathieu Bitton, courtesy of Blue Note Records.