マヤ・デライラは床にあぐらをかいて座り、ソファに背中を預け、メイトンギターズ製のエレクトリック・ギターを膝の上に置いている。12本の白いキャンドルの炎がゆらめきながら、彼女の指が指板の上を軽やかに舞う。その卓越したテクニックと自在な演奏スタイルは、時間を見つけて投稿されたInstagramのショート動画でさえも、見る者を唸らせるものである。
ロンドン北部に生まれ、現在もそこに居を構える25歳のマヤ・デライラと、ソーシャルメディアの長所と短所について語った。自身の名前を世に広めるきっかけとなったこのプラットフォーム、そして明るくスタイリッシュな映像や、ブルース、ポップ、ジャズ、ファンク、ロック、カントリーといったジャンルを横断する彼女の楽曲が、私たちが「才能」というものを本当にきちんと認識する余裕を持てるようになった時期に、バイラルとして広がっていったのである。

「ロックダウン中は、ちょっと狂ってるんじゃないかってくらい働いていたわ」とマヤ・デライラは笑みを浮かべながら語る。「朝8時に起きて、夜7時まで働く毎日。他の人たちが何もしていない中で、私はずっと動き続けていた。パンデミックが始まる2か月前に初のシングルをリリースしていて、誇りを持てる曲がたくさんあったからこそ、ちゃんと聴いてもらう必要があった。何の痕跡も残さず消えてしまうなんて、絶対に嫌だったの」
そのストイックな姿勢は、最終的に大きな成果をもたらした。彼女のオンライン上での注目は、ほとんどがセルフ・プロデュースによる動画によるものであった。多くはグリーン・スクリーンと父親のiPhone、そして豊かな想像力だけで作られたものだった。「狂ったように動画をアップしていたら、それがきっかけでブルーノートと契約することになったの」と語る。
ライヴ配信でも、彼女はソウル・ポップ的な感性とギターの腕前を兼ね備えた、カリスマ的なパフォーマーとして存在感を放っていた。その演奏は、ジョン・メイヤーやプリンス、ノラ・ジョーンズといった彼女のアイドルたちに恥じないものである。映画業界で働く音楽好きの両親の元、二人姉妹の次女として生まれたデライラは、幼少期から親のレコード・コレクションに囲まれて育った。アレサ・フランクリン、エラ・フィッツジェラルド、カーティス・メイフィールド、スティーヴィー・ワンダー、サンタナ、ニック・ドレイクといった音楽に親しみ、ハービー・ハンコックの「カンタロープ・アイランド」や「ウォーターメロン・マン」は何度も繰り返し聴かれていた。加えて、ラテン・アメリカや東アフリカの音楽に見られる複雑なギター・ハーモニーも、彼女のソロ・パフォーマンスで使用するループ・ペダルの着想の源となっている。
8歳で初めてフェンダー・ギターを手にし、10代ではジャズバンドに参加、さらにはフィンガー・ピッキングのバンジョーにも挑戦したマヤ・デライラであったが、譜面やタブ譜を読み解くことには長く苦労していた。16歳の時、彼女は重度のディスレクシア(発達性読み書き障害)と診断される。「超ディスレクシアだった。上位3パーセントに入るレベル」と、本人は肩をすくめながら語る。しばらくの間、ダンサーとしての道も考えていたという。ダンスも絵を描くことも、彼女にとっては得意分野であった。しかし転機は、音楽教師のポールとの出会いであった。「彼と一緒に耳で学ぶようになってから、音楽が楽しくて仕方なくなったの。やらされている感じが全くなかったわ」と語る。現在もそうであるように、ピックの代わりにとても長い自身の爪を使って演奏し、空いた時間の全てを練習に捧げた。
「小学校や高校の頃は、よく仲間外れにされてた。それは自分にとって、とても辛い事だったわ」と彼女は打ち明ける。「でも、あるときジョン・メイヤーのインタビューを聞いたの。彼が『誰にもパーティーに呼ばれなかったから、ずっと家でギターを弾いていた』と言っていたの。すごく共感したわ。私もまさにそんな子だったから」
ピュアで温かみのある声と広い音域にも恵まれたデライラは、アデル、エイミー・ワインハウス、FKAツイッグスなどを輩出した名門芸術校、ブリット・スクールに進学する。初日のことは、今でも鮮明に覚えているという。「授業が始まったら、男子は全員エレキ・ギターをやっていて、女子はほとんどがシンガー。楽器をやる子がいてもアコースティック・ギターだったの。『なんてステレオタイプで、気持ち悪いんだろう』って思った」
「だからその足でデンマーク・ストリートに向かったの。ロンドン中心部、トッテナム・コート・ロードのすぐ近くにある、有名な楽器街ね。それで、すっごくバカみたいなロックギターを買ったの。結局それをずっと使い続けて、最終的に見つけたのが、愛用しているメイトンのレアなエレキ・ギター。オーストラリアのメーカーで、もともとはアコースティックが中心だけど、私にとっては本当に特別な一本なの」

マヤ・デライラ / ロング・ウェイ・ラウンド
Available to purchase from our US store.デライラは、ソングライター仲間たちと共作を重ねながら曲を書き続けた。「誰かとアイデアを出し合っていると、10時間くらい平気でやっていられるの」と彼女は語る。マイケル・ブーブレの「エブリシング」で声を温め(「彼の低音から高音までの音域が、私と全く同じなの」)、パフォーマンスや動画投稿を継続して行った。自主リリースした2枚のEP、『Oh Boy』(2020年)と『It’s Not Me, It’s You』(2021年)は、バイラルとなった動画によってその注目度を一気に高めた。たとえば、サム・ヘンショウをフィーチャーしたレトロで小粋な「Break Up Season」は、5,000万回以上の再生回数を記録している。2022年、デライラはブルーノートから『ブルーノート・リイマジンド II』という人気カバー・コンピレーションにて、カサンドラ・ウィルソン版のニール・ヤング「ハーヴェスト・ムーン」を再解釈する形で、控えめながらレーベル・デビューを果たす。
ブルーノートは、ノラ・ジョーンズやハービー・ハンコック、そして両親のレコード・コレクションに含まれていた数々の名盤を通じて、彼女にとって馴染み深いレーベルであった。しかし、同レーベル社長であるドン・ウォズのことを知ったのは、比較的最近のことである。「ジョン・メイヤーのドキュメンタリーを観ていたら、彼の作品を多く手がけてきたプロデューサーとしてドンが出てきて『めちゃくちゃクールな人だな』って思ったの。その翌日に、彼が私と話をしたいと言っているって連絡が来たの」
そのタイミングはあまりにも不思議であった。彼はTikTokでデライラの動画を偶然目にしていた。A&R担当が送った、彼女がギターを弾いているだけの何気ない映像だったという。「とても嬉しかったけれど、同時にかなりプレッシャーも感じたわ。私はいろんなジャンルや音に影響を受けているから『一体どんなアルバムになるんだろう?』と不安だった。でも、ドンはこう言ってくれたの『自分の好きなジャンル、音、ムードを全部入れればいい。そこに一貫性をもたらすのは、君の声とギターなんだから』って」
こうして出来上がったメジャー・デビュー・アルバム『ロング・ウェイ・ラウンド』は、光と影、感情とニュアンスが織りなす、崇高かつ変化に富んだ楽曲のコレクションである。デライラが2024年度の「Fender Next™」(「人生で成し遂げたいことリストに入っていたの」と彼女は語る)に選ばれるに相応しいギター・リフが随所に散りばめられ、あらゆる感情のスペクトルを走り抜けるような構成となっている。たとえば、「マヤ、マヤ、マヤ」は、自分をすり減らしてまで人に尽くしてしまう性格から回復しつつある人物を描いた内省的な楽曲であり、一方の「スクイーズ」は、テキーラにインスパイアされたセッションから生まれた、ファンキーで小悪魔的な一曲である。「アクトレス」は、古き良きサンプルを活かしたナンバー。「ネックレス」では、人生に潜む矛盾の緊張感を軽やかにすくい取るような印象的なリリックが響き、「マン・オブ・ザ・ハウス」は、カントリー風味をまとった、愛を綴る気取らぬオマージュとなっている。
もちろん、これだけではない。収録曲にも、そしてこれから世に出るであろう楽曲の中にも、まだまだ魅力は詰まっている。
「時間はかかったけれど、多様な影響を受けて生まれた作品をリリース出来ることは、本当に素晴らしいことだと、ようやく実感できるようになったの」とデライラは語る。「このアルバムは、私という人間のすべての断片をひとつにまとめたもの。これからも、作り続けられるかぎり、何年かかってもずっとアルバムを作って行くつもりよ」
ジェーン・コーンウェルはオーストラリア出身でロンドンを拠点に活動するライター。アート、旅行、音楽に関する記事を執筆し、『Songlines』や『Jazzwise』など英国とオーストラリアの出版物やプラットフォームに寄稿している。ロンドン・イブニング・スタンダード紙の元ジャズ評論家。
ヘッダー画像:マヤ・デライラ。Photo: Rae Farrow.