囁く様に柔らかい歌声と、息づかいを感じさせるトランペットの音色で、チェット・ベイカーは瞬時にそれと分かる独自のサウンドを確立した。そのスタイルは過去70年に渡り幾度となく模倣されて来たが、いまだに凌駕されたことはない。「マイ・ファニー・ヴァレンタイン」や「オールド・デヴィル・ムーン」といったジャズ・スタンダードに対する繊細な解釈から、サックス奏者スタン・ゲッツ、作曲家エンニオ・モリコーネ、シンガーのエルヴィス・コステロといったジャンルを超えたアーティストとのコラボレーションに至るまで、ベイカーは1988年の死後もなお、ジャズ・インプロヴィゼーションに持続する旋律美と静謐な声の力を融合させようとする音楽家たちにとって、重要な試金石であり続けている。

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「チェット・ベイカーは、私が育つ中で最も好きだった音楽家の一人だわ」と、英国のシンガーソングライター、ホーネン・フォードは語る。「彼の歌声とトランペットの音色がどれほど密接に結びついているか、その一体感に魅了されたの。かつての私は、自分の声が大きくも力強くもないことに引け目を感じていたのだけど、チェットのようなアーティストを聴くことで、真のインパクトは音量ではなく、自分自身の声に正直に向き合うことから生まれるのだと学んだわ。それは私にとって非常に大きな力となったの」

ホーネンフォード

ホーネン・フォードは、ブルーノートの『Re:imagined』シリーズ最新作において、チェット・ベイカーの最も印象的な楽曲の数々を再解釈するという、難題とも言える任務を託された16人のアーティストのうちの一人である。
2020年にリリースされた『ブルーノート・リイマジンド』では、UKジャズ・シーンのミュージシャンたちが、老舗レーベルであるブルーノートの80年に渡るカタログから選ばれた楽曲を再構築した。2022年の第2弾『ブルーノート・リイマジンド II』でも、トランペッターのヤズ・アハメドやシンガーのイゴ・エラ・メイらが、ウェイン・ショーター、セロニアス・モンク、チック・コリアといった巨匠たちの作品に新たな解釈を加え、同様のテーマを継承した。

そして、今回の『チェット・ベイカー・リイマジンド』では、よりグローバルな視点を取り入れ、チェット・ベイカーのヴォーカル・デビュー作『チェット・ベイカー・シングス』のリリース70周年を記念して、世界各国のアーティストたちによる現代的なカバーが一同に介している。イギリス、アメリカ、韓国、オーストラリア、オランダといった国々のミュージシャンが参加し、そのジャンルもポップス、フォーク、R&B、ジャズと多岐に渡っている。

「『ブルーノート・リイマジンド』のアルバムは、時代を超えた名曲に新たな命を吹き込んでいる点で、常に大きなインスピレーションを与えてくれるわ」と、参加アーティストのポピー・ダニエルズは語る。「誰もが知る楽曲に、異なるクリエイターたちがどうアプローチするのかを聴くのは本当に魅力的なことよ。しばしば、そこから新たな感情や音楽的レイヤーが浮かび上がってくるのだから」

ベイカーがジャズ・スタンダードに込めた繊細な感受性は、シンガー・ソングライターのエロイーズによる「ざっと・オールド・フィーリング」の、ミニマルで指弾きのギターとヴォーカルによるアプローチに美しく反映されている。また、イギリスのトランペッターであるポピー・ダニエルズの「アイヴ・ネヴァー・ビーン・イン・ラヴ・ビフォア」は、原曲の持つ荘厳で飾り気のないホーン・メロディを前面に押し出した仕上がりとなっている。ベイカーの最もよく知られるスタンダード「マイ・ファニー・ヴァレンタイン」は、マット・マルチーズによる、ドリーム・ポップの影響を感じさせるリバーブの効いたエレクトリック・ギターを通して、切実な叙情が強調されている。そしてホーネン・フォードによる「アイ・ゲット・あロング・ウィズアウト・ユー・ヴェリー・ウェル」は、郷愁を帯びたミュート・ピアノのコード進行と、ヴォーカルと鍵盤を交互に織り交ぜた巧みなソロによって、深い情感を湛えたアレンジに仕上がっている。

マット

「この曲は、人生の多くの瞬間に寄り添ってくれた。初めての失恋を乗り越えるきっかけになった曲でもあるの」と、ホーネン・フォードは自身の選曲について語る。「私のバージョンでは、ハーモニーを極限までそぎ落とし、骨組みだけを残したかった。メロディもコーラスも、自分の音楽の原点である実家の子供部屋で録音したのよ。初めてこの曲を聴いた場所でもあり、そこでレコーディングできたことはとてもスペシャルな体験だったわ」

『Re:imagined』シリーズの多くの楽曲が、ベイカーによる原曲のアレンジを簡素化し、その繊細な感情を露わにすることに重点を置いている一方で、中には大胆に装飾を加え、まったく異なる表情を引き出しているものもある。その最たる例のひとつが、オランダのシンガー、ベニー・シングスによる「ゼア・ウィル・ネヴァー・ビー・アナザー・ユー」である。ベイカーのロマンティックな憧憬を、軽快なポップ・バラードへと変容させ、レイドバックなドラムとエレクトリック・ベースのグルーヴによって新たな躍動感を生んでいる。

一方、プーマ・ブルーは「イッツ・オールウェイズ・ユー」に対して、まばらなギター・フレージングと、かすれた静かな歌声を用い、暗く不穏な雰囲気を加えている。韓国のシンガー、サラ・カンによる「アイム・オールド・ファッションド」は、ヒップホップのブーンバップ的リズムを電子ドラムでプログラムし、土臭さのあるベース・スウィングを組み合わせることで、現代的なビート感を伴うアレンジとなっている。

そして最も大胆な再構築を行ったのが、マーキュリー賞を受賞したイギリスのグループ、エズラ・コレクティヴのトランペッター、イフェ・オグンジョビである。彼は、1956年のインストゥルメンタル曲「スピーク・ロウ」を、原曲のスピード感溢れるスウィングから一転、シンコペーションの効いたアフロビートへと再構成。ゆったりとしたグルーヴの中で、トランペットの旋律が自由に舞い上がる、全く新しい音世界を作り出している。

最終的に『チェット・ベイカー・リイマジンド』に収録された楽曲は、単にベイカーの原曲を模倣するものではなく、それぞれに新たな命を吹き込んでいる。「チェットの演奏には、常に深い感情と簡潔さが宿っていて、神聖とすら感じるわ」と、ポピー・ダニエルズは語る。「ジャズ史におけるこれほど象徴的な作品に、改めて向き合うプロジェクトに参加できたことは、非常に光栄であり、身の引き締まる思いだったわ」

このアルバムは、チェット・ベイカーの音楽が持つ奥深さ、そしてこれから何十年先までも多くのアーティストにインスピレーションを与え続けるであろうその力を、あらためて浮き彫りにする作品である。

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アマー・カリアは作家、ミュージシャン。ガーディアン紙のグローバル音楽評論家であり、Observer誌、Downbeat誌、Jazzwise誌などに寄稿。デビュー作『A Person Is A Prayer』が発売中。


ヘッダー画像: チェット・ベイカー。Photo: フランス・シェルケンス/Getty.