「1954年は俺にとって素晴らしい年だった」とマイルスは自伝の中で語っている。
ジャズの巨匠からこれほど純粋な前向きな言葉が聞かれることは珍しく、じっくりと考察する価値がある。それ以前の18ヶ月は、彼にとって激動の時期だったからだ。しかし新年を迎えると、トランペットの音は刷新され、心身共に健康を取り戻した。3月から4月にかけてプレスティッジ・レコードのために3つの有名なセッションを録音し、バードランドでは頻繁にジャムセッションを行い、ジム通いをするようになり、ジュリエット・グレコとの恋を短期間ながら再燃させた。
しかし、何と言っても最高のハイライトは『バグス・グルーヴ』だった。この傑作アルバムには、ルディ・ヴァン・ゲルダーのハッケンサック・スタジオで行われた2回のセッションで録音された楽曲が収録されている。最初のセッションは1954年6月29日に行われた。プロデューサーでありプレスティッジ・レコードのオーナーであるボブ・ワインストックは、マイルスを中心にオールスター・バンドを結成した。メンバーは、ミルト・ジャクソン、パーシー・ヒース、ケニー・クラーク(モダン・ジャズ・カルテットの3/4)に加え、サックスのソニー・ロリンズ、ピアノのホレス・シルヴァーだった。その結果、これまでレコードに収められた中でも最も高揚感に満ち溢れるモダン・ジャズが誕生した。
「クルック」の愛称で知られるドラマーのクラークは、ヴァン・ゲルダー家のリビング・ルームで録音することが多かったため、「クルックのコーナー」と親しみを込めて呼ばれていたピアノの真後ろに陣取っていた。ルディは彼のドラム演奏を大いに気に入っていた。「彼の熟練の技に助けられたよ。彼はとても繊細で、洗練されていて、音楽的だった。ドラムを美しく響かせ、僕にとって最高の演奏環境を作り出すために、どう叩けばいいかを完璧に理解していたんだ」
マイルス・デイヴィス バグズ・グルーヴ
Available to purchase from our US store.一方、マイルスはロリンズの演奏に感嘆し、自伝の中で彼を「素晴らしい」と評している。しかし、ソニーの記憶に残る楽曲は、このアルバムのために特別に書かれたものではなかった。マイルスによれば、ロリンズは最後の瞬間まで紙をちぎり取り、小節やコード進行を追加し続けていたという。
「エアジン(Airegin)」(ナイジェリアを逆から綴ったもの)は、ソニーの社会文化的な問題意識を意識的に反映した楽曲で、シルバーによる素晴らしい即興演奏が光っていた。「オレオ」(「アイ・ガット・リズム」をベースにした曲で、バターの代用品の名を冠している)では、ステムを取り外したハーモン・ミュートを至近距離に設置したマイクで拾い、アンプで増幅するという、全く新しいトランペット・サウンドを導入した。「ドキシー」はロリンズの最も遊び心に溢れ、記憶に残る一曲である。そして「バット・ノット・フォー・ミー」は、マイルスがピアニストのアーマッド・ジャマルへの敬意を込めた美しいトリビュート曲であった。
しかし、『バグス・グルーヴ』の第2回録音セッションは、ジャズ史上最も「伝説的」なセッションの一つとして語り継がれることになる。ワインストックの証言によれば、彼がマイルスとピアノの革新者セロニアス・モンクを同じ場に呼んだのは、1954年のクリスマス・イブのことで、二人がそれぞれ「急ぎで年末の金が要る」と訴えてきたからだという。このセッションから生まれたのは、ミルト・ジャクソンにちなんで命名されたタイトル曲の2テイクで、いずれもマイルスが生涯を通じて残したソロのなかで最高のものに数えられると、多くの評論家が指摘している。
とはいえ、アイラ・ギトラーからチャールズ・ミンガスに至るまで、マイルスがモンクに自分のソロのバックで「レイ・アウト」(演奏しないこと)を頼んだ際、二人は殴り合いの喧嘩になりかけたと主張している。しかしマイルスは自伝のなかで、単に音楽の中に、より多くの「空間」を求めていただけであり、モンクはどの道そのように演奏したはずだ、と冷静に説明している。
その結果生まれたのは、正にジャズ史に残る名曲の一つであり、「ストールン・モーメンツ」、「ブルー・トレイン」あるいは「ソング・フォー・マイ・ファーザー」と同様に、唯一無二で記憶に残る作品となっている。テイク1では、マイルスの崇高なソロが時を止めたかのような感動を与える。彼は「アウト」な音も臆することなく奏で、10:00辺りには(テイク2でも繰り返される)有名で多く模倣されてきたフレーズを織り込んでいる。一方、モンクのソロは、そのミニマリズムと難解さにおいて大胆不敵だ。テイク2は音質が明らかに向上しており、クラークのシンバルはより明るく、ヒースのベースは低音域が豊かになっている。また、モンクはテイク1の倍もの音数を演奏している。
この傑作アルバムのレコーディングを終えた1955年初頭、マイルスはニューヨーク周辺でライブ活動を行う一方、徴兵令(彼はこれを回避した)を受けていた。1955年は、伝説的なニューポート・ジャズ・フェスティバルでの公演やコロンビア・レコードとの契約など、彼のカムバックの年としてよく挙げられるが、『バグス・グルーブ』こそがマイルスの創作活動における黄金期のきっかけとなり、今なお正真正銘のクラシックとして輝き続けているのだ。
マイルス・デイヴィス バグズ・グルーヴ
Available to purchase from our US store.マット・フィリップスはロンドンを拠点とするライター兼ミュージシャンで、その作品は『Jazzwise』、『Classic Pop』、『Record Collector』などに掲載されている。著書に『John McLaughlin: From Miles & Mahavishnu To The 4th Dimension』と『Level 42: Every Album, Every Song』がある。
ヘッダー画像:セロニアス・モンク、マイルス・デイヴィス。写真:マイケル・オークス・アーカイブス/ゲッティイメージズ。
