1957年から1958年へと移り変わる頃、ジャズが比較的短期間ながら刺激的なメインストリームとの蜜月期を迎え始める中、マイルス・デイヴィスはトランペット界の先駆的スターとして新たな人気の高まりを享受していた。彼はダウン・ビート誌の読者投票でディジー・ガレスピー、メイナード・ファーガソン、チェット・ベイカーを抑えて首位に立ち、さらにタイム誌でも特集された。
彼の音楽もまた飛躍的な進歩を遂げていた。フランス文化への変わらぬ愛着に触発され、マイルスは1957年12月4日にルイ・マル監督の映画『死刑台のエレベーター』のための輝かしいサウンドトラックを録音した。その2週間後には、6か月前に解雇されていたジョン・コルトレーンがマイルスのセクステットに復帰した。(その間コルトレーンは、セロニアス・モンクとの共演により貴重な経験を積み、とりわけ伝説的なファイヴ・スポット・カフェでの長期出演を行っていた)
新年を迎えると、アルト・サックスのキャノンボール・アダレイを擁する新しいセクステットが急速な発展を遂げるなか、マイルスはさらなる傑作を生み出した。『マイルストーンズ』の大半は1958年2月4日に録音されている。その3日後には、コルトレーンが『ソウルトレーン』を録音した。
3月には、マイルスはキャノンボールの伝説的アルバム『サムシン・エルス』に参加した。そしてサックス奏者兼アレンジャーであるジョージ・ラッセルの推薦により、偉大なピアニスト、ビル・エヴァンスがマイルスのバンドに加入した。この新しいセクステットは1958年5月から6月にかけてニューヨークのカフェ・ボヘミアで演奏を行い、その後ワシントンD.C.のスポットライト・ラウンジで1週間にわたる出演を果たした。
その頃、マイルスは若きパリ出身の作曲家、編曲家、ピアニストであるミシェル・ルグランと出会う。ルグランは大成功を収めたアルバム『アイ・ラヴ・パリ』を発表したばかりであったが、その仕事に対しては定額の演奏料を受け取ったのみで、印税は支払われなかった。
若きルグランをなだめようとしたレコード会社は、次回作で誰と仕事をしたいかを尋ねた。ルグランはこう答えたと伝えられている。
「マイルス・デイヴィス、ジョン・コルトレーン、ベン・ウェブスター、ビル・エヴァンス、ハンク・ジョーンズ、フィル・ウッズとジャズ・アルバムを作りたい」と。

その結果生まれたのが『ルグラン・ジャズ』である。録音当時ルグランはまだ24歳であり、本人によればセッション中は緊張のあまり「汗だく」だったと言う。マイルスは1958年6月25日、ニューヨークで自身のパートを録音した。ルグランは、ファッツ・ウォーラー作曲の「ザ・ジターバッグ・ワルツ」に施した自身のアレンジをマイルスが聴いたら、スタジオを去ってしまうに違いないと確信していたと言う。しかし若きルグランに歓喜の時が訪れる。マイルスはトランペットケースを開き、1テイク録音した後でこう言った。「ミシェル、俺の演奏は気に入ったかい?」
実際、この曲におけるマイルスの演奏は実に魅力的であり、「ワイルド・マン・ブルース」、モンク作の「ラウンド・ミッドナイト」、そしてジョン・ルイス作の「ジャンゴ」においても同様である。「ザ・ジターバッグ・ワルツ」では、コルトレーンとエヴァンスもまた美しい演奏を聴かせている。
『ルグラン・ジャズ』2回目のセッションは6月27日にマイルスが不在の状態で実施され、高揚感に満ちた緻密なアレンジと、刺激的なソロとの組み合わせが引き続き展開された。
「雲」は、狭い音程間隔で重ねられたホーンや木管楽器の響きによって、ギル・エヴァンスの音楽世界を思わせる。また、短いながらも印象的なハンク・ジョーンズとベン・ウェブスターのフィーチャーも聴くことができる。
「ブルー・アンド・センチメンタル」はウェブスターの見事なテナー・サックスを前面に押し出した作品であり、一方、ガレスピーの「チュニジアの夜」の熱気溢れる演奏では、後にマイルス作品のプロデューサーとなるテオ・マセロによる魅力的なバス・クラリネットが際立っている。
また、「サヴォイでストンプ」では、アート・ファーマーとドナルド・バードという二人の優れたトランペット奏者が絶好調の演奏を披露している。
1958年後半に発売された『ルグラン・ジャズ』は、ダウン・ビート誌で五つ星の評価を獲得した。「その筆致は想像力に富み、最もソウルフルな時期のギル・エヴァンスを思わせる気だるい空気を帯びながらも、それ以上の何かを備えている」もしマーカス・ミラーのサウンドトラック『Music From Siesta / シエスタ』への参加を数えないのであれば、本作はマイルスが“サイドマン”として参加した最後の録音であった。そしてあらゆる状況証拠が示すところによれば、マイルスはこのプロジェクトを楽しんでいたようであるが、自伝の中で『ルグラン・ジャズ』に言及しているのはわずか一度だけである。
ミシェル・ルグラン、マイルス・デイヴィス Michel Legrand meets Miles Davis
Available to purchase from our US store.アルバム録音後まもなく、マイルス、コルトレーン、ポール・チェンバース、ビル・エヴァンスはニューポート・ジャズ・フェスティバルへ向かい、1958年7月3日木曜日に有名なステージを披露した。その後マイルスはニューヨークへ戻り、ギル・エヴァンスとの『ポーギー&ベス』のレコーディングに臨んだ。それは驚異的な充実期の始まりであり、そのすぐ先には『カインド・オブ・ブルー』が控えていた。しかし『ルグラン・ジャズ』もまた十分にその存在感を保っており、この古典的なマイルス黄金時代の中に完璧に収まる作品なのである。
マット・フィリップスはロンドンを拠点に活動するライター、ミュージシャン。Jazzwise、Classic Pop、Record Collector、The Oldieに寄稿している。近著に「John McLaughlin: From Miles & Mahavishnu to the 4th Dimension」、「Level 42: Every Album, Every Song」がある。
ヘッダー画像:マイルス・デイヴィスとミシェル・ルグラン、1958年。
