チリのサンティアゴ生まれのテナーサックス奏者、メリッサ・アルダナは、3代続くジャズ・ミュージシャンの家系に育った。祖父のエンリケ・“キコ”・アルダナはビッグバンドを率い、父もサックスを吹き、チリのテレビ番組でバンドやオーケストラと共演していた。アルダナ自身も、そうしたテレビの子ども向け才能発掘番組に出演し、体操や手品を披露する子どもたちと共に画面に登場、6歳の頃からステージでサックスを演奏していた。「チリはジャズが盛んな国ではないけれど、子どもの頃のテレビ出演のおかげで、みんなが私のことを知っているの」と彼女は語る。「だから、叔母や叔父や家族の為に演奏しに行くような感覚なの。本当に素晴らしい体験だったわ」
メリッサ・アルダナ Filin
Available to purchase from our US store.ブルーノートからの3枚目のアルバム『Filin』も同様に素晴らしい作品だ。ジョン・コルトレーンの『バラード』といった名盤に触発されたアルダナは、アメリカン・ソングブックの豊かな伝統と技巧を受け継ぐアルバムを作ろうと考えていた。しかし、レコーディングへの参加を求めて名匠キューバ人ピアニストのゴンサロ・ルバルカバに声をかけたところ、彼は喜んで応じながらも、こんな提案を口にした。「ぜひやりましょう。でも今回は<フィリン>を取り上げてみてはどうだい?」

1940年代から60年代にかけてのキューバ音楽の一潮流であり、ボレロとカンシオンをその時代のアメリカン・ヴォーカル・ジャズと融合させた<フィリン>と呼ばれるこのジャンルは、キューバ革命によって公の記憶から消し去られてしまった。「キューバでも世界でも、忘れられた音楽なのよ」とアルダナは語る。「ゴンサロがいくつかの名前を教えてくれて、私はネットで見つけられるものを片っ端から探したわ。そして最初に聴いた曲が「La Sentencia」(エレオノーラ・バルケの歌唱)だったのだけど、もう、ただただ涙が出てきて」。この曲を新作アルバムの冒頭に置くことは、その瞬間に決まった。
このキューバ音楽の深みへと潜って行くにあたり、アルダナが頼りにしたのは、幼い頃から父が仕込んでくれたジャズの修練だった。コルトレーン、ソニー・ロリンズ、ジョー・ヘンダーソンといったジャズの巨人たちのソロをトランスクライブ(耳コピー)してきた、あの鍛錬である。「サックスを枕元に置いて育ったようなものよ」と彼女は言う。「父はとても厳しい人だったわ。学校へ行く前の2時間練習させるために、朝6時に起こすの。帰宅してからも練習。でも、それが嫌いじゃなかった。今でも同じくらい練習しているわ。瞑想みたいなもので、自分自身に立ち返る時間なの」
このキューバの音楽を研究する際にも、アルダナはトランスクライブという作業を丁寧に積み重ねた。「歌詞を覚えるのと並行して、サックスで歌手の声をトランスクライブしたわ」と彼女は説明する。「それをすることで、ある言葉の重さが和声との関係においてどういう意味を持つのかが正確に理解でき、この音楽とのより深いつながりを感じることができたの。ナット・キング・コールのようなハーモニーで誰かが歌っているのが聴こえてくる、でもそれがスペイン語なのよ」
『Filin』は、煙がゆるやかに燻り、飲み干されたハイボール・グラスが残る、夜更けのバラード・アルバムを、今度はラテンアメリカという視点を通して再想像した作品である。その歩みと質感は、スタンダード集のように倦怠と憧憬に満ちているが、そこには一つのひねりがある。聴き慣れた使い古された響きではなく、キューバの過去から届く楽曲の数々なのだ。ルバルカバに加え、ベースのピーター・ワシントン、ドラムのカッシュ・アバデイが柔軟なサポートを担い、全体をブルーノートの総帥ドン・ウォズが巧みに収録している。「No Te Empeñes Más」ではゲストのセシル・マクローリン・サルヴァントのヴォーカルが燻るような効果をあげている。「まるでラテンアメリカ人のようにスペイン語で歌うのよ」とアルダナは目を輝かせる。「本当に、本当に信じられないくらいすごい」温かく輝くヴィブラートをまとったアルダナ自身のソロも、この上ない組み合わせを作り上げている。
この音楽を『Filin』に刻む作業を通じて、アルダナは自分自身についてもある真実に気づいた。「長い間、自分はこの音楽においてラテン系としてどういうアイデンティティを持つのだろうと考え続けていたわ」と彼女は語る。「チリの民俗音楽には深い繋がりを感じないの。でも、ブラジル、アルゼンチン、そして今回のキューバの音楽には、深い繋がりを感じるのよ」そこには、彼女が幼い頃から学び愛してきたジャズと、ラテンの血が息づく音楽、その両方が聴こえてくる。「スタンダードのように聴こえる。私が愛するあのスタンダードたちの様に。そこに私の心があるわ」
メリッサ・アルダナ Filin
Available to purchase from our US store.アンディ・ベータは、近刊予定の著書『コズミック・ミュージック:アリス・コルトレーンの生涯、芸術、そして超越』の著者。彼はニューヨーク市を拠点に活動している。
ヘッダー画像:メリッサ・アルダナ。写真:トラビス・ベイリー。
