9月に開催された金沢ジャズストリートを中心とするイベントで来日したダニー・マッキャスリンが携えてきたのは、発表したばかりの新作『Lullaby for the Lost』だった。ジャケットはブルックリンのレッドフックにあるグレーンターミナル(穀物ふ頭)の廃墟の写真で、ダニーによればこのレッドフックという地区には「グリット(grit)」すなわち刻苦の気質のようなものが感じられるとのことだが、その気分はこのアルバムの音楽全体にも通底している。
ダニー・マッキャスリン
『ララバイ・フォー・ザ・ロスト』

ダニー・マッキャスリン ララバイ・フォー・ザ・ロスト
Available to purchase from our US store.ロックの影響や様々な効果音を積極的に取り入れたサウンドにも“のグリット”が感じられる本作のコンセプトの基になったのは、8曲目の「KID」だった。この曲はもともと2023年の前作『I Want More』のためにマーク・ジュリアナとティム・ルフェーヴルとの3人で録音したのだが、結局アルバムには収録されず、曲も未完成のままになっていた。それからしばらく後に、ティムがこの曲を一緒に最後まで仕上げようと言い出し、彼が荒々しいサウンドのギター・パートを加えるなどして完成させた。そして、新作のマスタリングも担当したデイヴ・フリッドマンにミックスを頼んで出来上がった音を聴いたダニーは、「とても力強いものを感じて、新作の方向性がはっきり見えた」という。
2010年の『Perpetual Motion』以降のダニーのプロジェクトではレギュラー・メンバーと言える存在であり、デヴィッド・ボウイの遺作『★』にも共に参加したティムは、新作の方向性を決定付けた存在として全体のプロデュースも担当している。「KID」以外の曲でもロック風のギターを弾いているのは主に彼だという。
「KID」で新作の方向性を見据えたダニーは、ティムに勧められて聴いたニール・ヤングの音楽や、ナイン・インチ・ネイルズ、レイジ・アゲインスト・ザ・マシーンなどの「根源的なエネルギー」に刺激を受けながら曲作りを進めた。また、ティムやジョナサン・マロンといったベーシストや、ザック・ダンジガーやネイト・ウッドといったドラマーと一緒にスタジオで演奏していて、「パンク・ロックのエネルギーや偶像破壊的な精神」を感じた彼は、「Tokyo Game Show」などの曲でバンドのそういったエネルギーを解き放とうとしたという。
また、静かなバラッドでありながら「Stately(堂々とした)」という、一見矛盾するようなタイトルが付いた曲は、ホールジーのアルバム『If I Can’t Have Love, I Want Power』が彼の“創造的無意識”を刺激して出来たそうだが、この曲には『★』にまつわる経験も影響している。『★』の発表後にプロデューサーのトニー・ヴィスコンティがインタヴューで、デヴィッド・ボウイはなぜジャズ界のミュージシャンとアルバムを作ったのかという質問に対して、「デヴィッドは以前からジャズが大好きだった。以前の音楽ではその部分が密かに織り込まれる程度だったが、今回はより前面に出たのだ」と答えていた。ダニーにとっては「Stately」についても同様に、「威厳や美しさといったものが、(ジョナサン・マロンの)深く沈みこむようなベースによってごく控えめに表現されている」という。
スタジオで様々なサウンド創りのテクニックを駆使したこの『Lullaby for the Lost』の制作にあたっては、エンジニアのスティーヴ・ウォールとアーロン・ネヴェジーの存在も重要である。タイトル曲と「Celestial」、「Solace」のミックスを担当したスティーヴは、ダニーの『Blow』のプロデュースとミキシングも担当し、バンドの独自のサウンドを築き上げるのに重要な役割を果たした。また、タイトル曲の録音と「Stately」および「Mercy」のミックスを担当したアーロンは、ニューヨークのエレクトロニック・ミュージック・シーンにおける重要な存在で、ダニーやマーク・ジュリアナ、ブラッド・メルドーなどが最近作を録音しているブルックリンのバンカー・スタジオのエンジニアでもあり、ジョジョ・メイヤー率いるナーヴの4人目のメンバーとして、ライヴでのミキシングも担当している。
新作に至る軌跡、そしてデヴィッド・ボウイからの影響
ダニーが新作に至る自身の音楽にエレクトロニック・ミュージック、後にはロックといったサウンドを積極的に取り入れるようになったのは、彼の『Perpetual Motion』や『Casting for Gravity』をプロデュースしたデヴィッド・ビニーに勧められたのがきっかけだという。そして、『Perpetual Motion』発表後、ダニーはアルバムにも参加したティム・ルフェーヴルやマーク・ジュリアナとの演奏を大いに楽しむのと同時に、ふたりが大きな影響を受けたルーク・ヴァイバートやスクエアプッシャー、エイフェックス・ツインなどの音楽にも強い興味を持つようになり、エレクトリック・サウンドを駆使するジャズ・ピアニストのジェイソン・リンドナーをバンドに迎え入れた。さらにはアンビエント・ミュージックにも興味を持ち、デヴィッド・ボウイの『★』に参加することで、「自分にとっては遠い世界のもののように思えていたスタイルが、突如としてとても身近なものに感じられる」ようになり、より多くのスタイルを自身の音楽に取り込む可能性が見えたという。

ボウイと仕事をする中で、ダニーは彼から「居心地の悪さを感じたら、それは新しい何かに向かっている証拠だ。もしも自分のやっていることに心地良さを感じたら、それは危険信号だ」という助言を得た。ダニーはそれについて考え、たとえそれが自分にとっては未知で居心地の悪いものだったとしても、本能に従って先に進もうと決心した。そして、アーティストとしての使命は、自分の物語と声を見出し、それを最も確信に満ちた方法で、可能な限り高い美的価値観をもって表現することだと悟ったという。そのためには、自身のエゴや余計な期待感を捨て去り、音楽にふさわしい演奏を心掛けているとのことで、新作においてはインストゥルメンタル・ジャズによくある、リズム・セクションとの丁々発止のやり取りを演じるよりもむしろ、ロック・バンドのリード・シンガーのように、聴き手がわかりやすい明確なメロディを奏でる役割を果たそうと思ったという。
ダニーの言うとおり、彼のテナー・サックスはロックやエレクトロニック・ミュージックの尖ったサウンドの中で明確に存在感を示しているが、その奏法は決して力づくのものではなく、きわめてリラックスしている。9月の来日時に東京で行ったマスタークラスでは、バークリー音楽大学でジョセフ・ヴィオラに習ったという、マウスピースをほとんど噛まず、浅めにくわえたぐらいの状態で吹くテクニックについても解説していた。楽器の音域全体で安定したトーンを維持し、スタンダードを演奏する時の柔らかくて温かみのあるサウンドから、自身の最近作の音楽を演奏する時のフリーキーなトーンまで、自由自在である。
12歳でヴィブラフォン・プレイヤーだった父親のバンドで演奏し始めてから、バークリーを出てゲイリー・バートンのグループで演奏し、ダニーロ・ペレスのグループで中南米を中心とする様々な民族音楽のリズムを研究し、マリア・シュナイダーのオーケストラで繊細かつ周到なアレンジによる音楽を経験し、デヴィッド・ボウイのプロジェクトでジャンルを超える楽しさを再認識し、ロックやエレクトロニック・ミュージックの世界を探求してきたダニー・マッキャスリンは、間違いなく今後も目の離せないアーティストである。
ダニー・マッキャスリン
『ララバイ・フォー・ザ・ロスト』

ダニー・マッキャスリン ララバイ・フォー・ザ・ロスト
Available to purchase from our US store.収録曲:
1. ウェストランド
2. ソーレス
3. ステイトリー
4. ブロンド・クラッシュ
5. セレスティアル
6. トーキョー・ゲーム・ショー
7. ララバイ・フォー・ザ・ロスト
8. KID
9. マーシー
ダニー・マッキャスリン(ts)
ジェイソン・リンドナー(synth, el-p)
ベン・モンダー(g)
ティム・ルフェーヴル(el-b, g, synth, synth b)
ジョナサン・マロン(el-b)
ザック・ダンジガー、ネイト・ウッド、マーク・ジュリアナ(ds)
★2024年12月18日、19日、ニューヨーク、バンカー・スタジオにて録音
ヘッダー画像:Photo © Dave Stapleton