ブルーノートとの契約について
これまで私は、ジャズが二の次どころか三の次くらいに関心を持たれない大手レーベルに所属してきた。それ自体は特段、悪いことではなかった。カタログは素晴らしく、可能な範囲でサポートも受けていた。しかし現実として、巨大企業というものは大量のレコードを売ることで社員が職を保つ世界だ。音楽業界においてジャズという音楽は、そもそもビッグ・ヒットを連発して売上に貢献する類のものではない。彼らは助けようとしてくれたが、できることには限界があった。
だがブルーノートでは、ジャズこそが中核にある。ウェイン・ショーターの『ジュジュ』、『ナイト・ドリーマー』、『ジ・オール・シーイング・アイ』、『スキッツォフリーニア』といった名盤の数々、アート・ブレイキー&ザ・ジャズ・メッセンジャーズの『モーニン』、ホレス・シルヴァーの『ソング・フォー・マイ・ファーザー』、いずれもブルーノートから生まれた作品だ。挙げきれないほどだ。ジャッキー・マクリーンの『カプチン・スイング』も名盤だし、ソニー・ロリンズもブルーノートに在籍していた。つまり、あらゆる偉大なプレイヤーがブルーノートにいるんだ。そして今、ブルーノートは再び若い世代を迎え入れ、新しい時代の扉を開こうとしている
Branford Marsalis Quartet Belonging
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キース・ジャレットの音楽に惹かれて
多くの人とは違い、私は子どもの頃に『ザ・ケルン・コンサート』を聴いても心を動かされなかった。全く感動しなかった。そして愚かなことに、その一枚だけをキース・ジャレットという音楽家全体の比喩のように捉え、「あのレコードが好きでないなら、他の作品も自分には合わないだろう」と早合点してしまった。
そんな私の考えを変えたのは、親友のケニー・カークランドだった。ある飛行機の中で、彼が私の耳にヘッドフォンを押し当てて聴かせたのが『マイ・ソング』だった。5分ほど聴いたところで彼がヘッドフォンを取り返そうとしたが、私は拒んだ。そして着陸後、「レコード店に行くぞ」と言って、店にあったキース・ジャレットのアルバムを片っ端から全部、買い占めたんだ。
『ビロンギング』におけるキース・ジャレット・ヨーロピアン・カルテットについて
あのグループがヨーロッパのミュージシャンで構成されていたこと自体は、本質的な意味を持たないと思う。いわゆる“アメリカン・カルテット”のメンバーたちは、1930〜40年代のビッグバンドやスウィング・ミュージックの中で育った世代だ。ジャズ・ミュージシャンたちがブロードウェイ由来の同じ曲を演奏し続けるのには理由がある。そうした楽曲構造が、彼らの演奏法と親和しているからだ。しかしジャレットが書く曲は、そうした構造を持たなかった。そのため、彼らはそれらを演奏するのに苦労したのだ。ジャレットには、自身の音楽を解釈するために必要な、より広い和声感覚を持つミュージシャンが求められた。
さらに彼は、自分の指示に素直に従うだけの若さを持ったプレイヤーを必要としていた。ベテランたちは「黙っていろ、若造」とでも言うような態度をとり、実際、多くのレコードでジャレットの意図とは異なる演奏がなされているのが聴きとれる。私はヤン・ガルバレクと面識はないが、推測するに、彼が7歳の頃に初めて観たコンサートがジェームス・ブラウンやアース・ウィンド&ファイアだったとは考えにくい。
現代におけるヴォーカル音楽の優位性について
歌詞のない音楽を聴衆に楽しんでもらうのは、非常に難しい。
聴き手が音楽に共感を見出すのは、その音楽が何らかの感情を喚起する時に限られる。しかし現代の多くのミュージシャンは自分の音楽しか聴かず、その多くは旋律的ではない。和声的情報に依存し、感情の伴わない音楽になってしまっている。クラブのような小規模な会場で同業者相手に演奏する以上の規模で活動したいなら、発想の転換が必要だ。つまり、常に幸福感をもたらす音楽に耳を傾けるべきなのだ。「1930年代のバンドを始めろ」と言っているわけではない。だが私は長年、30年代の音楽を聴き続けている。
20代前半でジャズに出会うまで
私が子供のころはR&Bにハマっていた。レッド・ツェッペリンの大ファンでもあった。ツェッペリン、ジミ・ヘンドリックス、ボブ・マーリー…そういう音楽ばかりを聴いていた。ジャズに本格的に関心を持ったのは19歳か20歳の時だ。兄弟がアート・ブレイキーと共演しているのを聴き、観たのがきっかけだった。当時のルームメイトで、素晴らしいドラマーのマーヴィン・“スミッティ”・スミスが、ハービー・ハンコックとウェイン・ショーターが参加したマイルス・デイヴィスの初期作品を所有していた。私はそれまでそのレコードを聴いたことがなかった。自分の中では、ハービー・ハンコックはザ・ヘッドハンターズのリーダーであり、ウェイン・ショーターはウェザー・リポートのメンバーくらいの認識しかなかった。彼らがマイルスと共に演奏していたと知り、その音楽を耳にした時、「これこそ自分が演奏したい音楽だ!」と感じたんだ。
アート・ブレイキーから学んだ初期の教訓
他人の音楽を勝手にいじるのは好きではない。
若い頃、その考えをアート・ブレイキーに悔い改められたんだ。彼は、私のバラード演奏が酷いことを承知の上で、わざとジョージ・ガーシュウィンのバラードを吹かせた。私は自分の演奏に合わせるため、ガーシュウィンの曲のコードを勝手に書き換えていた。すると「お前、いったい何をしているつもりだ?」私は若気の至りで反抗的になり、「ちょっとヒップにしようとしてるだけですよ」と答えた。すると彼は言った。「お前、ジョージ・ガーシュウィンがオラトリオを書いたことを知ってるか?オペラを書いたことを知ってるか?1930年代で最も重要なポップ・ソングを書いた男の一人だということを知ってるか?」私は「それが何なんです?何が言いたいんですか!?」と返した。ブレイキーは一喝した。
「ガーシュウィンはお前の助けなんぞいらん!彼はすでに偉大なんだ。ダメなのはお前の方だ。お前に彼の音楽を変える資格も才能もない。曲はそのまま演奏しろ!」そのときは腹が立ったが、5年後には心の底から感謝するようになったよ。
Branford Marsalis Quartet Belonging
Available to purchase from our US store.ジェーン・コーンウェルはオーストラリア生まれのロンドン在住ライター。英国とオーストラリアを中心に、Songlines、Jazzwise等で執筆している。ロンドン・イブニング・スタンダード紙の元ジャズ評論家。
ヘッダー画像: ブランフォード マルサリス。写真: Peter Van Breukelen/レッドファーンズ。
